京島校舎のシャッターを内側から開けようとすると、すでに商店街のお店のシャッターが開けられているであろうという時間帯だった。
この状況は緊張する。シャッターを開けたら前に果物屋さんのおかあさんがいて、開けた瞬間に何かしら話さなくてはいけないのではないか、という使命感にかられる。話しするのが嫌いなわけでもないし、果物屋さんのおかあさんが嫌いなわけでもない。むしろよくしていただいていて、感謝しているぐらいだ。
商店街のお店がシャッターを開ける時間帯に、遅れて「開ける」という行為が仲間はずれなことをしている気がして、申し訳ないと考えてしまう。
なので、内側から鍵だけを開けておいて、裏から回り、今やってきました感を出して、平然とシャッターを開けよう考えた。しかし裏から回ろうとすると、お隣のもつ焼き屋さんのモノが置いてあり、道が封鎖されていた。
そこで勢いでシャッターを開けることにした。開けると、果物屋さんのおかあさんがいなくて、安心した。でもやはりシャッターを開けたことだし、挨拶あるのみ!と思い、おかあさんが出てくるのを待った。
おかあさんは『おはようございます』と、いつもと変わりなく挨拶を交わしてくれた。自分にとってそれが何よりうれしかった。そして、自分がいないときの情報を話してくれた。『土曜日、男性の人がシャッターを開けたね。お知り合いの人?』と。木村さんのことだとわかった。
14:00
お巡りさんのお茶目な一面が見られた。
しかしその状況を文章で説明するのは難しい。この商店街にとって欠かせない存在であることは間違いない。
14:20
2人の女性が京島校舎の前を通りがかった。
片方の女性が『ここ何屋さん?』と話しかけると、もう片方の女性が『しー』と返答していた。何か悪いことでもしたのかとすごく不安になった。一人でシャッターを開けていたくないと切に願う瞬間だ。
14:30
『ただいまー』と、女性が幼稚園か保育園帰りの子どもの手を引き、お店の人に挨拶をしながら、商店街を歩いている。京島校舎にいる自分はその対象として、見られてはいなかった。いつもシャッターが開けているのが当たり前になれば、その対象として見てもらえるのだろうか…。
16:00
シャッターを下ろしていると、前回も来てくれたおばあちゃんが声をかけてくれた。『今日はもう大学終わりかい?』と。一言だけだったが、うれしかった。
今度は畳に座ってもらいたいなぁ。
中島和成
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