2011年5月4日水曜日

講義録:「地図する」が気になる

木村さんが4月末に下準備をしてくださって、第一回の地図描きはじめの作業も終わっていて。あとは仕上げるだけ…!という段階でむかえた第二回。講義名が「地図を描く」ではなく「地図する」という動詞になっているのが妙に気になりつつも、つっこみのタイミングを逃してしまったまま、京島校舎にに向かった。

わたしが到着するともうすでに腰から下には地図らしきものが描かれていた。メンバーも数名集まっていた。約一名が、モチベーションが上がらないと不謹慎な発言をして木村さんに叱られた。あわてて食糧を買いに走った。できの悪い墨東大学生にも、お惣菜屋さんは優しい。大盛りのもつ煮と、塩と七味で味をつけた砂ぎもを買う(ビールは我慢した)。京島校舎に戻ってきたところで参加メンバーが揃っていた。開始の時間に。木村さんの「じゃあ、やりましょっか」という一声で作業の説明がはじまる。全員、自己紹介をしてから、午後1時20分頃より作業開始。

地図するグッズは、ラインテープとカッターと、鉛筆、消しゴム。あとは軍手もしくはタオルの切れ端。はしご。プロジェクター。木の板、延長コードになっている電源タップ。ペンキの下地塗りに使ったと思われるペンキ塗りセットも京島校舎に置いてあった。木村さんのご自宅の私物のようだけれど、妙に自分も買い揃えたくなる。ラインテープも猫のロゴマークがついていてかわいい。(墨東大学の校長先生は猫だという都市伝説を、一瞬思い出した)今回のメンバーで、ラインテープを使うのはほぼ全員(木村さん以外)はじめてだったのではないか。

しばしの間、かなり黙々と作業。3人づつぐらいが、壁に投影された地図にとりつく。疲れると戦線を離脱する。すっと次の人間が代わる。その繰り返し。粛々とテープを張りつづけ、3時間半ほどで壁全体が地図で埋まった。無駄口はほとんどなし。すばらしいチームワークだったことは疑いがない。ただ、記録しておきたいのは、プロジェクターの投影画像を複数に分割したときに、その間でスケールがずれてしまった場合「フォース」というものを使うらしいと聞いて、一ヶ所だけかなり無理やりカーブを補正した場所がある。@yookudさんは、ていねいに地図の誤差を少なくする方法を考えようとしてくださったのだけれど、ええい、フォースだ、とおもしろがって力わざを発揮してしまった。(きっと、わたしの適当さにあきれていたはずだ…。ごめんなさい…。)デジタルの画像を、ただ分割して壁面に投影すればすむはずなのに、なんであんなにずれてしまったのか、その仕組みが私にはまださっぱりわからない。誰か、教えてほしい。

時々、通りがかる人がこちらを気にしている。(ひそひそ話がよく聞こえるほど静かに作業していたとも言える)「なにやってるの?」と大きな声で話しかけてきた男性に「この地図をつかって地域の人とお話したりしたいんですよー」と答えたら、そんなのJ:COM(ケーブルテレビ)に聞けばいいよ、地域の情報いっぱい持ってるよ!と言われた。(なるほど、ケーブルテレビなら、どちらかというと墨東大学として出たい)それから、もっとスカイツリーの近くでやりなよ!とも。そうやって絡んでくれる人がいるのが嬉しいけど、なんというか、自分たちがここに楽しくて通っているということ以外、なにも伝えられずに終わる。通りがかった人を巻き込むところまでなかなか気持ちが回らない。お向かいの果物屋さんは「このあたりの地図を書いているにちがいないわ」とひそひそ立ち話をしていた。通りがかったきれいな女性は、わたしたちの作業を見て「なにしてるんですか?」と話しかけてくれ、墨東大学のことをなかじが説明したところ、なんとなく興味をもってくれた。

…あらためて「地図する」ってなんだったんだろう。その人たちに「ちょっと壁に地図していきませんか?」と誘ってみてもよかったのだろうか。もしかしたら、京島校舎とキラキラ橘商店街の通りの間にある心の「壁」のことだったんだろうか?

出来上がった地図を、プロジェクターの電源を落として全体を眺めてみると、なにも記入されていない、白いままの地図になる。どこが何なのかさっぱりわからない。いまのところ、いわゆる地図としてはあまり役立たない。途中で、墨東大学の場所に@tenteroさんが黄色い付箋を貼ってくれたけれど、あれがなければ、キラキラ橘商店街すらどこなのかわからなかった。そのかわりに、不思議な行き止まりの路地や、大きな通りに分断された曲がりくねった細い道が、浮かび上がってみえて、気になってくる。壁の右のほう。木村さんが鉛筆で下書きして、@yamakake_gohanが壁に身を寄せながらテープを貼り込んだあのあたりのことだ。とりあえず道のかたちだけがはっきりと頭に焼き付いている。いつかあのラインをたまたま通りがかったら、「あっ!」と気づくことができるだろうか。その前に耐え切れずインターネットで調べて行ってしまうだろうか。京島校舎に立ち寄った誰かが、謎に答えてくれるだろうか。これから、この白地図にいろいろなものが書きこまれても、この謎を忘れずにいられるだろうか。

地図を書いたら謎が増えた。知っているつもりの街が、真っ白にリセットされた。少なくともわたしは、このまちのかたちを知らないことがわかった。墨東大学第二期のスタートにふさわしいシンボルができあがった気がする。

(報告:香川文)

5月4日〈墨東大学〉大学日誌

4月30日の続編講座【壁に地図するⅡ】が行われました!


今日は、押上駅から一人で京島校舎まで歩きました。GWだからか、スカイツリー目当てなのか、はたまた両方が重なっているからなのかわかりませんが、駅前には大勢の人で溢れ帰っていました。『歩きにくくなったもんだな...』と勝手に、地元に何十年も住んでいる人かのごとく、不満を抱きつつ、京島校舎に向かいました。
12時45分に押上駅に到着し、講座開始の13時まで時間も少なかったため、走ることにしました。すると路地の途中で、民家からテレビの音声が聞こえてくるのがわかりました。その場に立ち止まり、キョロキョロと音の出所を調べました。どことなく懐かしい感じがして、急いでいた気持ちが落ち着きました。今日、改めてこのまちの魅力に引き込まれてた気がします。


京島校舎に到着すると、すでに木村さんが作業を始めていました。前回の【壁に地図するⅠ】で木村さんがおっしゃっていた「壁に貼りつけたマスキングテープは数日後、剥がれるかもしれない」ということが、実際に5日経過した今日、現実のことになっていました。私が訪れた時にはすでに木村さんが修復してくださっていたので、マスキングテープが剥がれているのを目にすることはほぼありませんでしたが、一番最初に見つけたらかなり凹むだろうなと悲しくなりました。

前回も参加していた木村さん、渡部くん、そして今回初めての香川さん、岡部研究室の3年生と4年生、墨大の卒展の時に初めて来校してくださり、興味をもって今日の講座に参加してくださった方、自分も含めて計7人が参加しました。

まず、自己紹介から始めました。名前や所属の他に、現在の近況的なことを話しました。その内容からはお引っ越しや飲み会、実家から帰ってきたばっかりなど、どうやらみなさんお疲れムードのようでした。…というか、5/7人はそのような感じで、先行き不安のまま、始まりました。



前回は加藤先生、木村さん、岡部先生、そしてゼミ長だった渡部くん、ワークショップを数々こなしてきた丸山くん、渡邉くんがいたので、そんな協力な方々の後ろについていけばなんとかなるだろうな、半ばそんな気持ちでいました。
しかし、前回から引き続き参加していたのは木村さんと渡部くんの二人だけでした。そのため内容を把握していたので、継続して作業に取り組んでいました。
そのため、プロジェクターに地図を投影して、前回テープを貼って作った地図に合わせるという作業において指示をしつつ、一方でアドバイスをもらいつつ、作業を行っていきました。
みなさん、お疲れムードな方々が大勢いたせいか前回に比べ、ものすごく静かに「テープを壁に張り付け、無駄な部分をカッターで切る」の作業を行っていました。ただ、前回と違うのはこの作業のスピードが早いことでした!正式に測ったわけではありませんが、前回参加していた3人中3人が納得していました。


途中で糖分や塩分(木村さんからは向かい側の果物屋さんで買ってきたバナナ、香川さんは商店街で買ったお惣菜やお菓子、岡部研究室4年の佐々木くんからは岩手のお土産)など補充しつつ、約16時30分頃まで繰り返し、壁一面に地図を作っていきました。壁一面に地図が出来上がるにつれて、思い出深いもの、この場所を手放したくない想いに駆られてきました。
そして、ついに完成できた時の達成感はものすごく爽快でした。ただただ、遠くから全体を見たくて仕方がありませんでした。



前回(4/30)もそうだったと思うのですが、休日で人通りが多いためか京島校舎を通りかかる際、たくさんの人が立ち止まって見てくれました。立ち止まらずとも、横目でちらちら見ながら、歩いていました。墨大に対する気にかけ度合いで言えば、2010年度のどの講座よりも一番ではなかったでしょうか。(全てに参加できていたわけではないので、確信は持てませんが...)
小学生ぐらいの小さい子から、ご高齢の方まで京島校舎を気にかけてくれました。小さい子は、すぐ声に出して『何やってるのー?』、『落書きしていいのかな?』とお父さんやお母さんに言ってました。
30代ぐらいに方になると、墨大の活動に興味をもってくださり、質問などしてくれました。また、興味をもってくれてるのかなと思い、個人的にお話をかけやすかったです。
60、70代ぐらいの方は京島校舎の前に立ち止まり、まじまじと長い時間見ていく方が多く見受けられましたが、話しかけてくることはほとんどありませんでした。そういう場合は、雰囲気から話しかけるべきか、話しかけずに受け身の姿勢でいるのかを考えから行動に移しました。

たった2日間の出来事でしたが、両日参加できたおかげで、歴史の目撃者になれた気がして、嬉しかったです!


最後に...これもまた前回同様になってしまうのですが、木村さんや香川さんはごくごく普通に果物屋さんのおかあさんと会話をしていました。岡部研究室の3年生の子も、帰り際に『さよならー』と声をおかあさんにかけていました。ご近所さんに話しかけにいくことができず、京島校舎内だけで完結させてしまっている自分がいました。これならわざわざ墨田区来るだけ無駄じゃないか、と感じてしまいました。この感じ、どこかで打破せねば...


中島和成