2010年12月27日月曜日

12月27日〈墨東大学〉大学日誌

12/27 (月)


18:20

買い物帰りに、まち見世のことを知っている男性の方が来校した。世田谷から結婚するために引っ越してきたらしい。『今年のまち見世、もうかってる?事務所はどこなの?押上?』と聞かれた。もうかっている?…に対して、どう反応すればよいか戸惑った。「儲かる」の言葉を耳にすると、金銭面のことかと思ってしまったので、質問を聞き返すと、墨東まち見世2010の来場者数のことであった。自分が感じた去年との比較を答えた。事務所に関して、なぜ押上がでてきたのかわからないが、百花園の近くであることを伝えると、すぐに理解してくれた。

やはり知っている方がいるのはとてもうれしい!こういう時は楽しくなって、ついつい会話をしてしまうのです!!

墨東まち見世の次に墨東大学の話を持ちかけると、乗り気な様子で『何学ぶの?』と聞かれた。具体的例として、壁に貼ってあった「迷子学入門」について話した。向島・京島での路地での体験をもちかけると、『路地に入ったら、鳩のまちにまで行っちゃったよ』と話してくれた。


18:30

「あっ、コロッケ売ってる!」という声が聞こえた。

異質な集団がやってきた。

声(歩いている者同士の声が行き交う。声の抑揚が感じられた。)や雰囲気(目的が明確ではなさそうで、ふらふら回りを見ながら歩いていた)、団体感などからしてよそ者だなと。自分もまだまだよそ者だが、少しだけ中の人から見た外の人に対する感じ方?というのを知った。

その中でも興味をもった女性が京島校舎に来校した。墨東大学のチラシを見て、まっさきに『これSFC(慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス)がやってるんですか?』と聞かれた。確かに主催に慶応義塾大学と表記されているが、SFCまで言い当てた女性に驚いた。どうやらSFCの卒業生らしい。なので、加藤文俊研究室のことを話した。知らないと言われてしまった。しかし、理解度は早く、他にいたメンバー(興味をもっていたものの、京島校舎内までには入ろうとせず、一緒に歩いていた方々45名)に話していた。



合計3人の方が来校してくれた。
中島和成

2010年12月25日土曜日

12月25日〈墨東大学〉大学日誌

1225日(金)


京島校舎に到着してシャッターを開けようとすると、

背後から『あらっ!』という果物屋さんのおかあさんの声が聞こえた。自分のことに気付いてリアクションしてくれたのかと思い、振り向くとお客さんに対しての反応であった。うれしくなって振り返ってしまった反面、勘違いだと気付き恥ずかしくなってしまい、いつもする挨拶をせず、颯爽と中に入った。


買い物に行く途中に、I夫妻が来校してくれた。
K・Iさんは「毎日が楽しいぜ!」の絵を見るのは初めて?だったらしく、消去法から自分の絵を当ててくれた。ズバリ的中!やはり自分が参加した講義のものが回りにあるのは説明や反応しやすくとても良いなぁ〜。

今まで寒く寂しかった空間が一気に温まった。


18:20

以前(1210日)来校してくれたおじさん(なかなか話を聞き取ることができなくて対応に困ってしまった方)が、京島校舎が開いているのを見て、すぐさま校舎内に入ってきた。以前は向かい合わせに座ったのに対して、今回は隣に座った。

入ってきて早々、パソコンを指差して、『これ(パソコン)どうやって使うんだ?』と聞かれた。その場で文字の拡大縮小などを行って、おじさんが見えるまで調整した。
電車内でのペースメーカーによる事件(どうやらこのおじさんは電車に乗っている時、近くでケータイをいじっている人を見るとそれを叩くらしい)から、中国出身の知人が青山学院大学の学院生らしく、亜細亜大学・青山学院大学・大東文化大学など、おじさんが知っている大学の偏差値の順番を聞かれたり、最近の若者の不純さについて語ったり、民主党には票を入れるな(小沢はダメだ!)?など盛りだくさんの話を50分近くした。
隣に座っていることもあり、所々ボディータッチをされた。前回より距離が縮まったのかなとうれしかった。何より全部ではないにしろ、相手の言葉を聞き取れ、話すことができて良かった。


19:20

隣のお店から出てきたペンキの職人さんが京島校舎の前を通りがかった。

『お疲れ!この間(1223日、バナナの差し入れ)はどうもね』と声をかけてくれた。

『はい!』と、ボクは自然と笑顔になった。



合計4人の方が来校してくれた。
中島和成

2010年12月23日木曜日

課外活動

1223

夕方、卒論のインタビューのため、少し京島校舎に立ち寄ってシャッターを開けた。


久しぶりなので、シャッターを開けるのに緊張していた。

以前(122日、〈墨東大学〉大学日誌、参照)に書いた気持ちまでいかないにしても、文章では伝えられない緊迫した気持ちがあった。


いつものごとく、片側のシャッターを2/3ほど開けて、果物屋さんの方を向き、目が合った所で一礼して、中に入るつもりが、シャッターを頭にぶつけた。それを果物屋のおかあさんとおとうさんが見ていて、『大丈夫?』と声をかけて、心配してくれた。
ちょっと痛かったけど、心の中で『今日はいける!』と確信した。(自分のことを受け入れてもらえた気がした。まだ商店街の中で時々しかいない自分は、その日その日でこの空間(キラキラ橘商店)に存在していても良いのか、悪いのかの日々感じているのだ。)


ということもあり、果物屋のおかあさんには、毎回バナナの差し入れをいただくので、今日は自分から買い物に出掛けた。


果物屋さんの目の前に行くと、おかあさんが『(シャッターが)開いてないと、寂しいよ』と真っ先に声をかけてくれた。おかあさんの頭には、前まで空き店舗だった場所で、「学生が何かをやっている!」、という場であると認知されている気がして、うれしかった。毎日数時間でも開いていれば違うのだろうな…。それを言われなくなった方がうれしいけど、そしたら次はなんて言われるのかな…。それとも会話がなくなっちゃうのかな。。


バナナを買おうとすると、1150円のバナナが、残り2房だった。『みんなで食べるかい?だったら、2房で200円にするよ!』と、おかあさんがまけてくれようとした。それならと思い、私は2房買った。この勢いに乗じて会話をした。

年内はいつまで営業しているのか、そして年始はいつからなのか聞いた。

すると、おかあさんの方から『どうして?何かあるの?』と聞いてきた。

『年初めにここ(京島校舎)のシャッター開けようと思うのですが、お店が開いてないなら寂しいですよね。』と私は返した。

それに対しておかあさんは、(記憶が飛んでしいあいまいだが)5日までお休み?5日から営業開始?かを、教えてくれた。

お店によっては、7日までお休みらしい…。

他のお客さんが来たので、私はその場を去った。



数分後、お隣の方が京島校舎を覗きに来た。

いっきに4人も!『何事だ…?』と思い、閉められたままだったもう片側のシャッターを開けた。

『誰だ?この絵を描いたのは?』と、この前もお世話になった常連の方が声を出した。やはり「毎日が楽しいぜ!」の数々の絵は人を引きつける力があるらしい。『オレから見たら、全部ピカソの絵に見えるな!』と、今回は小馬鹿にされた気がした。
なので、今回は『学生や社会人方が描きました!』と、さらりと流した。


そして、いきなり『近くにいい人(女性)いないか?』と聞かれた。『えっ?』、と返した。話を聞くと、どうやら一人暮らしをしているらしく、近所の方に『自転車の置いてある場所が3日間同じだったら、警察呼んでもらうようにお願いしてあるんだよ』と話してくれた。
どんどん話を聞いていくうちに、『ここ(京島校舎)のペンキの塗り方下手だな。自分たちでやっちゃうからいけないんだよ』と話してくれたので、『職業はペンキ塗る方ですか?』と聞いた。どうやらその通りで、その道40年のベテランさんだということが判明した。


もう一人方が、『一杯飲むか?』と声をかけてくれた。すると隣に戻って、『内藤くんに一杯やってくれ』という声が聞こえた。


(「内藤くん」とはどうやら自分(中島和成)のこと意味しているようです。前回隣のお店に誘われた時、そこにいたお客さんに『えっと、墨田区が実家の…「内藤大助」に似てるな!』と言われた。回りにいた方々からも『そういえば!』、『本当だ!』などという意見が一致していた。)


その時のことまで覚えてくれていて、一瞬『えっ?』とは思ったが、なんだか妙にうれしかった。

しかもキンキンに冷えたビールを届けてくれた。冷えきった体ではあったが、格段に美味しくて、心温まるビールだった。


飲み終わると、『どうしよう…。やっぱお金払った方がいいよな』と思って、ビンを返しにいく時、お金を払おうとした。お店の方に『大丈夫みたいよ!』と言われてしまった。


京島校舎に戻って、さきほど買ったバナナを持っていこうと思い、すぐ隣のお店に行った。ペンキ塗りを職業にした方がドアの所にいたので、『さきほどのお礼で…、良かったらみなさんで食べて下さい!』とバナナを渡した。
意外とすぐに受け取ってくれた。警戒されて、『いいよ』と断れるのでないかと思っていたので、ちょっぴりうれしかった。すると、『気を使わなくていいよ。違う…。金使うんじゃねーよ!』と。


ほんの数十分の出来事であったが、すごく充実していた。



合計6人の方が来校してくれた。

中島和成

2010年12月18日土曜日

講義録(ビデオ):みどり荘再生プロジェクト・大掃除



12月8日(土)は、みどり荘再生プロジェクト・大掃除がおこなわれました。なぜか「ブレア・ウィッチ…」的な世界を妄想して、勝手にビビっていましたが、みんなで淡々と荷物を運んで、ゴミをまとめて、どちらかというと、さわやかな大掃除でした。

2010年12月17日金曜日

講義録:オープンキャンプ4: 墨東ポッドウォーク 1(加藤)

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日時:2011年12月17日(金)18:15〜20:00
場所:京島校舎に集合 → そののち「キラキラ橘商店街」を中心に行ったり来たり。
参加者:学生3名+教員1名
内容:(くわしくは講義録を参照)
カワイタクヤ氏考案の「ポッドウォーク」です。2006年ごろ、柴又や丸の内、坂出などで収録しましたが、いまはもっといろいろ実験できる環境が整ってきたので、墨東(とくにキラキラ橘商店街あたり)で収録します。
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18:15ごろに京島校舎に集合。もうあたりは暗い。そして、寒い。そろそろお店のシャッターが降りはじめるころ。きょうは4名で実習です。まずは、内容について簡単に。

カワイタクヤ氏考案の「ポッドウォーカー」は「A地点からB地点までを実際に歩きながらその体験を見えるように解説した音声を、別の人がA地点からB地点を目指しながら聞く」ことを指します。この試みに触発されて、数年前に「まち歩き」ガイドとして、いろいろなところで音声を収録してみました。当時は、こんな感じの説明文を書いていました。
ひとの数だけ、「まち歩き」の体験があります。携帯型音楽プレイヤー(iPodなど)とポッドキャスティングを活用して、あたらしいまちの理解を創造してみようと思います。ウェブを介して、事前にiPodなどにコンテンツをダウンロードしておき、音声を聞きながらまちを歩く。聞こえてくるのは、「いつか・だれか」が歩いた軌跡ですが、足を踏み出すのは、まちがいなく、じぶんです。
つまり、ひとが録音した音声(音声ガイド)を聞きながら歩くという体験です。最初は、いわゆるナビゲーションのために、目的地に向けて音(声)で案内することを考えながら収録をしていましたが、やがて、これは、歩きの〈お供〉としての魅力があることに気づきました。誰かのおしゃべりを聞きながら歩くという体験そのものが、まちへの関わりかたを変容させるからです。
(参考までに、過去に収録した音源は、下記のサイトで聞くことができます。)
・京都(2006) http://vanotica.net/snd/kyoto_06.html
・柴又(2006) http://vanotica.net/snd/shibamata.html
・坂出(2006) http://vanotica.net/snd/sakaide.html

今回の講義は、墨東エリアでポッドウォークのコンテンツをつくるための準備として位置づけられます。「墨東大学」の主旨もふまえ、目標とするのは、以下のようなコンテンツです:
・(当然のことながら)墨東エリア(たとえば「キラキラ橘商店街」)で収録される。
・墨東エリアに暮らす人/墨東にくわしい人と一緒に歩いてもらう。
・墨東エリアのまち並みの楽しさ(賑わい、複雑な路地、などなど)を音で再現する。
・だいたい、15分くらいのコンテンツをつくる。
第1回目の試みとして、おもに「15分間のウォーキング(=大まかに考えると1kmの語り)」を意識しながら、「キラキラ橘商店街」を歩くことにしました。まだまだこれからですが、いちおう「墨東ポッドウォーク」プロジェクトをスタートさせることができたと思います。

【実験 1】2人+2人に分かれて実験開始。2人でおしゃべりをしながら歩き(これをウォーカーと呼びます)、その後ろを2人で尾行(チェイサーと呼びます)します。ウォーカーは、まちの刺激を受けながら、〈お供〉になりうるコンテンツを収録します。いっぽう、チェイサーは、数メートル後ろを追いながら、もっぱらウォーカーたちの様子を観察し、気づいたことを録音します。15分間かけて、商店街を歩く(立ち止まるのはOK・道を曲がるのはNG)ことにしました。

【1-A】まずは東武亀戸線の踏切から明治通りに向けて、栗林と加藤が歩きます。それを、大崎とナカジが追いました。
●ウォーカー(栗林+加藤)

●チェイサー(ナカジ+大崎)


【1-B】今度は、明治通り側をスタート地点に、踏切に向かって中島と大崎が歩き、それを栗林と加藤が追うというバージョン。


●ウォーカー(ナカジ+大崎)

●チェイサー(栗林+加藤)


この実験は、商店街を15分かけて歩くという制限でおこなったので、ふつうのスピードで歩いていたら、どうしても時間が余ってしまいます。つまり、立ち止まったり、誰かに声をかけたりする時間を設ける必要があります。この実験では、それぞれが時間を「潰す」「かせぐ」というふるまいになってしまったようです。

【実験 2】メンバーの組み合わせを変えて、同じやりかたでもう一往復です。立ち止まるのを禁止。商店街からの分岐(横道に入るなど)のはOKとし、15分間歩き続けてゴールに到達するバージョンで収録してみました。

【2-A】ふたたび、踏切を起点に明治通りに向けて歩く。今回は立ち止まったりせずに15分間歩くというパターン。ナカジ+加藤が歩くのを、大崎と栗林が尾行。
●ウォーカー(ナカジ+加藤)

●チェイサー(栗林+大崎)


【2-B】ふたたび、明治通りから踏切まで。大崎と栗林が歩き、ナカジ+加藤が尾行。
●ウォーカー(栗林+大崎)

●チェイサー(ナカジ+加藤)



このバージョンのほうが、楽しかった…という印象です。参加者の皆さんからの感想などが届いたら、追記するつもりです。まずは、最初の報告でした。
(加藤文俊・2010/12/17)

2010年12月16日木曜日

講義録:フィールドワークあるある大会(仮)(臼井・仲尾・村井)

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日時:2010年12月16日(木) 16:00〜18:00
会場:旧アトレウス家
講師:臼井隆志、仲尾千枝、村井洋子
参加人数:16人
内容:街や地域に関わり始めて、「フィールドワーク」という言葉を頻繁に耳にするようになりました。学校で勉強する「フィールドワーク」は、記述や写真でデータを取り、論文や地図や相関図に編集する膨大な作業です。一方でただ現場におもむいて街を歩いたり人と話をしたりすることだけの作業でも「フィールドワーク」と呼ばれることもあります。
本講座は、こんなふうに定義や実態が曖昧になってきた「フィールドワーク」を研究の手法として実践している学生が開講します。「フィールドワーク」という作業の過程で生まれる「あるある」エピソードを出し合い分類する、受講生参加型のブレインストーミングを行い、「フィールドワーク」の経験の整理とその効用の明確化を目指します。
「フィールドワーク」をしたことがなくても、日記などをつけて記録をするのが好き、出来事を人に伝えることに興味がある方を受講生として募集しています。ぜひふるってご参加ください。
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経過:
第1部:フィールドワークの“あるあるネタ”!
「調査対象者に自分の研究のことをどこまで話す?誤解されたままでいいのかな?」
「調査対象の欠点を指摘したり、傷つけたりするような記録は公開できないよな…」
「「客観的なデータを!」とフィールドワークの教科書的な本には書かれているけど、個人の主観でもいいんじゃない?」
「現場に関わるのだから、現場の動きを多少操作してもいいのでは?」
「なかなか現場の雰囲気を文章化できない。現場をイキイキと描き出すために、記録のルールの設定が重要。」
フィールドワークを今まさに経験している4年生を中心に、フィールドワークのあるあるネタを出し合いました。


第2部:オリジナルのフィールドワークを考える!
3グループに分かれて、第1部の“あるあるネタ”から自分たちがするフィールドワークを企画しました。①テーマ②期間③場所④記録方法⑤アウトプット の5項目を発表。
→発表内容:
・リア充とは?: Nさんの合コン体験から考える
・家の間取り: 想像と実際
・オンラインフィールドワーク: 2ch就活板から
(報告:臼井隆志)

2010年12月11日土曜日

12月11日〈墨東大学〉大学日誌

1211日(日)

 今日、人は京島校舎の前を通りがかるものの、なかなか中に入ってくる人はいなかった。横目でちらりと見るだけや、立ち止まって雨風でふにゃふにゃになったままのチラシを立ち止まって見るだけだった。

休日ということもあって、このまちに観光や遊びにきた人が多かったのかなと感じた。


16:30

 おじさんが「毎日が楽しいぜ!」の絵を指して、『すごいな!』と言った。『特にこれがすごい!』と左から3番目の絵を指した。『オレの心を揺さぶった。これどういう意味かわかるか?』と聞いてきた。「毎日が楽しいぜ!」の絵を描いた当初は、『問題作だな、こりゃ…』なんてことを参加者の方に言われていたのに比べ、テンションが高まってきた。うれしくなってつい、『これ自分の絵なんです』と答えると、『お前才能あるよ!』と返してくれた。最初は幼稚な絵を描いているから小馬鹿にされているのかと思ったけど、『これわかるやつにしかわからないよ。ピカソや、岡本太郎の絵と一緒だよ。』とまで言われ、さらにうれしくなった。『これから一杯飲むけど、飲むか?』と声をかけてくれた。

グルメシティに行って、烏龍茶、焼酎、おまんじゅう?を買ってきてくれた。そのおじさんは『忙しいから帰るわ』と言い、さっそうと姿を消した。


16:50

 「京島発見!Photoコンテスト」の登録をしに出掛けた。

そこの(京島校舎斜め向かいにある「白い鯛やき あん吉」)お兄さんに『おっ!学生。コミュニケーションだもんな。やるよな!』と声をかけられた。もちろんです、と返事をすると、『ぬるくなっちゃったけど、これやるよ!』と缶コーヒーをポケットに入れてくれた。この温かさにうれしくかった。
参加費の1000円を払うのに5000円を出すと、『お釣りいらないんじゃない?』と。こういうやりとりを求めていた自分がいて、さらにうれしかった。もちろん、お釣りの4000円は頂きました。。

 17:00を過ぎ、受付をしていた方々が、京島校舎の前を通りがかった。『おっ、兄ちゃん。さっきはありがとな!』と声をかけてくれた。この商店街の中で一番若くして、経営している人ではないだろうか…。力強い味方に仲良くしていただけた。


17:40

 ただ、このままたいやき屋さんのお兄さんに忘れられてしまうのもイヤなので、たいやきを買いに行った。まだ覚えてくれていた。お兄さんが『さっきはどうも!』と。『そんなぁ、500円得させてもらってるんですから』と返した。『そこ寒いよね。大丈夫?』と心配してくれた。以前買いに行った時には、聞かれなかった一言だった。
購入したたいやきと、入れたてのコーヒーをサービスで届けてくれた。なんとそのコーヒーにも変化が…。以前はブラックだったのが、クリープ?ミルク?入りだった。温かかったし、めっちゃおいしかった。体も心も温まりました。ありがとうございます、と心から言いたいです。


 1人の方が来校してくれた。

中島和成

2010年12月10日金曜日

12月10日〈墨東大学〉大学日誌

1210日(土)


 木村健世さんの「迷子学入門Ⅱ」が終わり、京島校舎が一気に寒くなったし、寂しくなった。シャッターを下ろそうか、迷っていた。しかし、果物屋さんやたいやき屋さんも開いているのに、開けておかないわけがないだろう、と自分に言い聞かせた。

19:30

 おじさんがふらりと立ち寄る。すぐさま畳に座った。「毎日が楽しいぜ!」の絵を見て、『誰が描いたんだよ?小学生か?』と、おじさんが話しかけてきた。申し訳ないことに、話していただいた内容の7割は聞き取ることができなかった。時々聞き返したりするがそれでも聞き取れなかった。それでもコミュニケーションが成立させているかのように相づちを打っていた。

『なんのために(実際の)大学行ってるんだい?行った所で就職なんてないだろうに…』と。確かに自分は就職や進学が決まったわけでもないので、苦笑いしながら答えていた。

『ここの(キラキラ橘)商店街はイイ所だよ。亀戸の商店街なんて恐くてダメだよ。』など、30分近く、話をした。



(おじさんと話をしている最中の出来事)

ティトスの子まちに来ていた女の子とそのおかあさん京島校舎の前を通りがかった。女の子が『あっ、メガネ!』とこっちを指差した。おかあさんが笑っていた。まさか京島の空き地以外で声をかけてもらえるともらえるとは思わなかった。


Y・Kさんが京島校舎の前を通りがかった。『また来るね!』と言って、去っていった。


20:00

 おばさんが2人来校した。通りがかりに興味をもち、京島校舎の中に入ってきてくれたみたいだったので、『「墨東大学」という企画をやってます』、と説明すると、『大学病院もつくってくれればいいのにね!』と笑っていた。

 生まれも育ちも墨田区という一人のおばさんが『私はこの区から出たことないんだけど、外の人から見て、ここどう思います?』と話しかけてきた。渋谷や新宿など東東京を引き合いに出しながら、『ご近所と仲良く、助け合いながら生活をしていくことが大切です』のような回答をした。すると、『だったらもっとここに貢献できることしないと。商店街の会合には出たの?若い人の意見を取り入れて、一緒にやっていかないとね』と言われた。確かにまだ告知が至らない部分もあるが、自分たちだけで楽しんでいる部分はもちろん前々からわかっていることだしな…と、自分に言い聞かせながら聞いていた。

 『ちなみにここ(京島校舎)の前の人が通る人数数えたことある?』と問いかけられた。そう言われてみると数えたことはなかった。『今度時間帯決めて数えてみなさいよ。これで100人ぐらいしか通らなかったら(商店街の会合で)言わなきゃダメよ。もっと人が来るにはどうしたらいいかって。明日(1211日)朝市があるんだから色々なお店に行って、お客さんに『どこから来たんですか?』ってインタビューしてきたらいいわよ。それをまとめて商店街の会合で話したらいいのよ』と。話を聞いているだけで、このおばさんからはキラキラ橘商店街が好きなのだなという想いがかなり伝わってきた。『ちなみに、イトーヨーカドーは行かれたんですか?』と聞くと、『言ったわよ。ダメね~笑。でも、ここの商店街好きだから買い物してるわよ!』と返してくれた。

 帰り際に、『この畳に動くの?危ないわね~』と言った。もう自分は慣れているから、感じなくなったけど、知らない人が座ると確かに危ないかもしれない。

慣れてしまうと、色々見えなくなってしまうことが多い。



20:30

 M・Iさんがやってきた。「おしょくじ」に関することを聞かれた。『墨大の講義に「おしょくじ」ってあるけど、どっち(向島or京島)のかな?』と。『もしここ(京島校舎)に置いてもいいなら、Bunkanから(京島おしょくじ)持ってくるけど、どうする?』と聞かれた。京島校舎のシャッターが毎日開けていられるならいいけど、そういう状態にできていないしな…と反省した。『ここ(京島校舎)のシャッターが開く日に、Bunkanから運べばいいのかな…』と言われたので、『もしそういうことになればやりますよ!』と返事をした。後日、加藤先生?にご連絡するようなことを言っていた。


合計5人の方が来校してくれた。

中島和成

2010年12月8日水曜日

墨大チラシ

128日【墨東ストーリープロジェクト(荒川・市川・岡部)】の講義だった。

振り返りをする前に、おやすみ処「橘館」の前にある鳥正にお惣菜を買いに、都市大の3年生、C・Sさんと行った。2000円という上限で156人が満足できるにはどうしたらいいか、2人で悩んでいた。すると、店内からそこのおかあさんが出てきたのでこのことを相談すると、「そういうことは、どんどん相談してくれないと。下町のいいところなんだからさ。」と言って、60円の焼き鳥を50円に、220円、320円のお惣菜を200円にまけてくれた。唐揚げもあるだけ袋に包んでくれた。

最後に、墨大を説明すると、壁に貼られてるメニューに並べて、墨大のチラシを貼ってくれた。やったねー♪


職員としての仕事、一歩目?です。
どんどん増やしていきたいなー!!

2010年12月7日火曜日

講義録:大人の学び論 II(長岡健)

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2010年12月7日(火) 18:30〜20:00
講義名(担当者):大人の学び論Ⅱ(長岡健)
集合場所:墨東大学(京島校舎)
参加人数:8人
内容:私たちが「学ぶ」という言葉を使うとき、そこには「何かを身につけること」という意味が込められていることがほとんどです。しかし、「学ぶ」という活動を「考え方や振る舞い方が変わること」と理解するなら、「知識やスキルを身につけること」だけでなく、「これまでの考え方や振る舞い方を棄てること」=「学習棄却(unlearn)」も意味あることだと言えるでしょう。本講座では、この「学習棄却」という概念を取り上げ、「従来の認識を捨て去ること」や「状況に適応しないこと」の意味、それを実現するためのヒントを探ってみたいと思います。
 なお、墨東大学「大人の学び論Ⅱ」では、「大人の学び論Ⅰ」に引き続き、「教員/受講者」の関係を逆転させた授業運営を行います。今回のテーマである「学習棄却(unlearn)」を中心としながらも、それに限定することなく、「大人の学び」に関する様々なトピックの中から、受講者が「聴きたいこと」をその場で選んでもらい、担当教員が出来る限りそれに応えていく、という授業運営を行います。そして、通常とは異なるこのような授業の経験をもとに、墨東大学での「学び」の意味を参加者全員で探ってみたいと思います。
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 前回の「大人の学び論Ⅰ」に引き続き、「大人の学び論Ⅱ」でも、教員があらかじめ話す内容を決めず、受講者がその場で聴きたい話題に教員が応える即興形式で進めました。当日は、7名(社会人:3名、大学生:4名)の参加がありましたが、大学生の参加者から「フィールドワーク」に関連した話しが出ましたので、お題は「フィールドワークと学び」ということにして、講義を始めました。このテーマは全く予想していなかったのですが、私が日頃感じている「ビジネス・エスノグラフィー批判」のような話しから始めてみました。

 近年、ビジネス関係者、特にマーケティングや商品開発に関わる人々の間で、「エスノグラフィー」や「フィールドワーク」という言葉が話題に上ることが多くなってきたようです。このような現象自体はなかなか興味深いのですが、ビジネス関係者の多くがエスノグラフィーに期待していることと、私がエスノグラフィーについて考えていることの間に、けっして小さくない開きがあることも事実です。ビジネスの文脈では、エスノグラフィーは隠れた消費者の行動や嗜好を明らかにする「魔法の杖」のようなものだされているようです。つまり、エスノグラフィーを「手法」と見なし、「調査対象(者)との関係」において理解しているということです。
 一方、私の方は、他者とかかわることを通じて調査主体が変化していくプロセスとして、エスノグラフィー(ないしはフィールドワーク)を理解しています。もちろん、フィールドワークを通じて何を発見したかを考えることは重要です。でも、その発見は「魔法の杖」によってもたらされたのではなく、調査者自身の「モノの見方」が変化していったことにより、それまでアタリマエに思えていたり、何気なく見過ごしてきたことが、違ったものに見えてきた結果ではないでしょうか。これは、フィールドワークを「学習棄却(unlearn)」のプロセスとして理解することだとも言えるでしょう。
 では、今回の「大人の学び論Ⅱ」での講義体験を、私にとって「墨東大学という場へのフィールドワーク」だと見なしたとき、私の中でどのような「モノの見方」の変化があったのでしょうか。


 フィールドワークでは、「よそ者(ストレンジャー)」の目線で見ることが大切だと言われます。現地の人たちにとってはアタリマエに思えることが、よそ者にとっては摩訶不思議に見える。このギャップを浮き彫りすることがフィールドワークという活動の重要な一部を構成しているということです。
 でも、現地の人々と触れる時間が長くなるにつれ、よそ者の目線は、徐々に現地の人々の目線に近いものとなっていきます。それまで違和感を覚えていたことが徐々にアタリマエになっていくにつれ、現地にいることにある種の心地よさを覚えるようになるものです。そして、この「心地よさ」と引き換えに、フィールドワーカーは「よそ者の目線」を失うことになります。
 前回「大人の学び論Ⅰ」の開始直前、とても緊張している自分がいました。誰が来るかも、どんな時間を過ごすことになるのかも分からず、逃げ出したいような気分もほんの少しだけあったような気がします。でも今回、「大人の学び論Ⅱ」は少し違っていました。もちろん、事前に講義内容を決めない「即興的な講義」ですから、「どんな時間になるのだろうか?」という、落ち着かない気持ちはありましたが、前回とは違い、この気分を楽しもうというゆとりがあったように思います。たった1回参加しただけではありますが、墨東大学の不思議な雰囲気に慣れてしまい、ある種の「心地よさ」を感じるようになったのかもしれません。
 おそらく、前回と同じ場所で「大人の学び論Ⅱ」を開講していたなら、私の感じた「心地よさ」は講義開始後もそのまま続いていたでしょう。でも、今回の開講場所が、前回感じたものとは異なる摩訶不思議な気分を、私にもたらしてくれました。
 今回の開講場所、「墨等大学京島校舎」がまさか商店街の真ん中に位置しているとは、知りませんでした。しかも、道行く人々から数メートルしか距離のない位置から、あたかも買い物で行き交う人々に向かって講義をしているかのような状況になるとは、全く想定外のことです。実際、講義中に何度も道行く人と目が合ってしまいましたが、そのほとんどの人が、「こんなところで何やってんの?」といぶかしそうな表情をしているように私には見えました。心の準備も全くないまま、「よそ者に対する視線」を思い切り浴びせかけられた私は、どう振る舞ったらいいかが分からず、講義をしながらもそのことが気になってしかたがありませんでした。おそらく、私の中では、今回受講者として参加した方々への意識と、道行く人々への意識が半々ぐらいだったような気がします。


 さて、フィールドワークでは「よそ者の目線で見ること」の重要性が指摘されていると、先に述べました。そして、「よそ者の目線で見ること」に私自身の意識が向かっていたことを否定できません。それに対して、今回の体験は、「よそ者に対する視線を浴びること」への意識を喚起するものでした。まだはっきとしたことは言えませんが、フィールドワークを「学習棄却(unlearn)」のプロセスと見なすなら、よそ者として見られている際に覚える何となくの違和感が、私自身の振る舞いを変えていくきっかけになるかもしれません。
 次回の「大人の学び論Ⅲ」まであと50日以上あります。その間、次の「墨東大学という場へのフィールドワーク」がどんな「モノの見方」の変化を私にもたらしてくれるかを楽しみにしつつ、今回の体験についてじっくりと考えてみたいと思います。
(報告:長岡健)

2010年12月6日月曜日

12月6日〈墨東大学〉大学日誌

126日(月)京島校舎オープン

 京島校舎のシャッターを内側から開けようとすると、すでに商店街のお店のシャッターが開けられているであろうという時間帯だった。
この状況は緊張する。シャッターを開けたら前に果物屋さんのおかあさんがいて、開けた瞬間に何かしら話さなくてはいけないのではないか、という使命感にかられる。話しするのが嫌いなわけでもないし、果物屋さんのおかあさんが嫌いなわけでもない。むしろよくしていただいていて、感謝しているぐらいだ。
商店街のお店がシャッターを開ける時間帯に、遅れて「開ける」という行為が仲間はずれなことをしている気がして、申し訳ないと考えてしまう。

 なので、内側から鍵だけを開けておいて、裏から回り、今やってきました感を出して、平然とシャッターを開けよう考えた。しかし裏から回ろうとすると、お隣のもつ焼き屋さんのモノが置いてあり、道が封鎖されていた。

 そこで勢いでシャッターを開けることにした。開けると、果物屋さんのおかあさんがいなくて、安心した。でもやはりシャッターを開けたことだし、挨拶あるのみ!と思い、おかあさんが出てくるのを待った。
おかあさんは『おはようございます』と、いつもと変わりなく挨拶を交わしてくれた。自分にとってそれが何よりうれしかった。そして、自分がいないときの情報を話してくれた。『土曜日、男性の人がシャッターを開けたね。お知り合いの人?』と。木村さんのことだとわかった。

14:00

 お巡りさんのお茶目な一面が見られた。
しかしその状況を文章で説明するのは難しい。この商店街にとって欠かせない存在であることは間違いない。

14:20

 2人の女性が京島校舎の前を通りがかった。
片方の女性が『ここ何屋さん?』と話しかけると、もう片方の女性が『しー』と返答していた。何か悪いことでもしたのかとすごく不安になった。一人でシャッターを開けていたくないと切に願う瞬間だ。

14:30

 『ただいまー』と、女性が幼稚園か保育園帰りの子どもの手を引き、お店の人に挨拶をしながら、商店街を歩いている。京島校舎にいる自分はその対象として、見られてはいなかった。いつもシャッターが開けているのが当たり前になれば、その対象として見てもらえるのだろうか…。


16:00

 シャッターを下ろしていると、前回も来てくれたおばあちゃんが声をかけてくれた。『今日はもう大学終わりかい?』と。一言だけだったが、うれしかった。

今度は畳に座ってもらいたいなぁ。

中島和成

2010年12月4日土曜日

講義録:みどり荘再生シリーズ (1) 大掃除(大橋)

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12月4日(土)
12時半 京成曳舟駅明治通り側改札集合
参加者:5人(大橋、藤原、工藤、北條、大崎)
内容(講義概要より):八広1丁目にある「みどり荘」という廃屋アパートを再生するプロジェクトの、最初の一歩である大掃除をします。
近年墨東エリアで多く巻き起こっている「誰も入らなくなった廃墟をオープンスペースにする」までのプロセスを体験していただきます。
みどり荘は再生されたのち、来秋には展覧会の予定があり、その後は地域のアートセンターとなることを大家さんは望んでいます。
墨東大学が参加している墨東まち見世などの動きも手伝って、これまで地域住民にあったアートに対する不信感や無関心が変わりつつあります。
また、なぜ「みどり荘」が廃墟になったか、いつ建って、そこにどんな人が住み、なぜ出ていったのか、どんなまちにでもあるかもしれない影の部分に入り込み、普段では見られないまちの側面も見てみましょう。
年内は大掃除に終始し、年明けからは具体的なリノベーションなどをする予定です。(変更になることもあります)
※汚れてもいい格好でお越しください。
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まず、全員で手つかずのみどり荘を見てみる。一番手前にはかつて塗装業を営んでいたと見られる内容の工具・材料が不法投棄された部屋がある。ここは床も抜けていて手を付けられない。

その奥ふたつの部屋はがらんどう、ここは拭き掃除と空気の入れ換えくらいで良さそう。後回しにする。
新聞紙やペットボトル、牛乳パックや下駄箱、朽ちた椅子や盆栽などがうち捨てられていて進めない廊下を片付けながら進み、その奥、最果ての部屋は開かずの間。次回開けることにする。

その向かいが夜逃げ後の部屋。おそらく家捜しされたであろう状態で放置されている。
床に散乱する布団、新聞や食器、帽子や色鉛筆などの細々した物。ひと1人がやっと通れる玄関を抜け、3人入ればいっぱいになる狭い部屋、足の踏み場がないとはこのこと、かまわず土足で入る。


狭い部屋に似つかわしくない大きなテレビの上には民芸品が並ぶ、水の枯れた水槽の中には白骨化した魚がいるのである。タンスを開ければ束になったモノクロ写真。
生活が突然中断されて長い時間放置された荒廃感と、中断されるまで続いていた生活の生々しさ。冷蔵庫はこわくて開けられない。

この日は分別もなくひたすらこの部屋の物を捨て、15時半頃終了。道ばたでお茶を飲みながら、ここがどんなふうに使われたらいいと思うか、話し合う。

次回は12月18日(土)、開かずの間、階段下、不法投棄の部屋の荷物運びなどを予定している。

2010年12月2日木曜日

12月2日〈墨東大学〉大学日誌

12月2日16時京島校舎着

 キラキラ橘商店街に近づくに連れ、まだなじめない感が高ぶってきた。
テンション落ち気味だった。京島校舎の前に到着すると、自転車が2台駐輪されていた。やはり、まだシャッターが下ろされた状態のままでしか認知されていないのだなと感じた瞬間だった。シャッターを開けると、それに気付いた女性が『悪いね。邪魔でしょう。』と少し怒った様子で自転車を移動させた。

 通りがかりにおばあちゃんがやってきた。すごいノリノリで墨東大学の話を聞いてくれた。その場で講義の提案までしてくれた。『墨田区観光協会のような墨東ガイドツアーとかしようかしら』と。笑って帰った。また来てくれるといいなぁ。

 続いてお巡りさんが見に来た。墨東大学の説明をした。去年のまち見世の時のことを覚えてくれていた。『音出さないよね。やっぱここは下町だからさ…。60歳の定年過ぎて勤務させてもらっているイイ所だよ、ここは。以前いきなり大きい音を出されて迷惑したよ。事前に一言言っておいてもらえれば別だけど…。』と音出しに関する注意を受けました。なので音を使う講義がある際には気をつけて下さい。
 お巡りさんが京島校舎の前を掃除してくれた。もちろんそれはここの京島校舎の前に限った事だけではないと思うが…。
 巡回でもあると思うが、周辺のお店を尋ねてはお話をしていたり、モノを頂いていたりと、普段他のまちで見る交番のお巡りさんとは違っていて、頼もしく、ここのまちに欠かせない存在であるのだと感じた。


『自画持参(自画持参研究室)』に続く…。


合計2人の方が立ち寄ってくれた。

中島和成

12月3日〈墨東大学〉大学日誌

12月3日12時京島校舎オープン

 若いカップルが通りがかりに、
男『ここなんだか知ってる?休憩所。』と知っているかのように言っていた。
おやすみ処「橘館」と勘違いしているのか、それとも認知されているのか疑問を覚えた。

 前の果物屋さんと隣の揚げ物屋さんが様子を見に来た。『畳があると温かく見えていいわね』など、墨東大学の説明をする時に迷子学入門のことを例に出すと、『私たちだってね、路地が多くて、未だに迷子になっちゃうわよ』と返してくれた。地元の人にやってもらっても面白いかもと思った。
 ボールペンのお礼にと果物屋のお母さんからバナナを『みんなで食べてね!』と、たくさん頂いた。

14:30

 早稲田大学の学生が来校した。向島・京島のまちをフィールドしている研究室だとのこと。今日、まちづくり・まちの取り組みの調査ということで、キラキラ橘商店で撮影をしていた。早稲田の学生ということもあって、墨大のチラシを手に取った瞬間、『慶応の学生ですか?』と聞かれた。『都市大です。』と答えるとちょっと笑われている気がした。『また伺います!』と言って去った。

15:00~17:00 出掛ける。

17:30

 お使い帰りの子どもがガチャガチャを見て、『まだできない?』と言った。意外とココにガチャガチャがあることが浸透してるのかなと驚いた。

17:50

 前回も来てくれた方が、今日も来てくれた。『どう?盛り上がってる?入学式はやったの?』など声をかけてくれた。通りがかりではあるものの、立ち寄ってくれるのがうれしかった。

18:20

 ボールペンのお礼にとお隣の天ぷら屋の方に、エビの天ぷらを頂きました。

18:30

 酔っぱらったお隣のお客さんが『何をやってるの?』と覗きに来た。『教員は何を教えるの?学生は何を学ぶの?』と聞かれた。教員に関しては、講義の事例を紹介したり、このまちに関すること、興味のあることなどを話したりしたが、学生は…との問いが答えられなかった。向島学とは言えずに、何でも学びますと、答えてしまった。


『毎日が楽しいぜ!(市川)』に続く…


合計7人の方が立ち寄ってくれた。

中島和成