2010年12月27日月曜日

12月27日〈墨東大学〉大学日誌

12/27 (月)


18:20

買い物帰りに、まち見世のことを知っている男性の方が来校した。世田谷から結婚するために引っ越してきたらしい。『今年のまち見世、もうかってる?事務所はどこなの?押上?』と聞かれた。もうかっている?…に対して、どう反応すればよいか戸惑った。「儲かる」の言葉を耳にすると、金銭面のことかと思ってしまったので、質問を聞き返すと、墨東まち見世2010の来場者数のことであった。自分が感じた去年との比較を答えた。事務所に関して、なぜ押上がでてきたのかわからないが、百花園の近くであることを伝えると、すぐに理解してくれた。

やはり知っている方がいるのはとてもうれしい!こういう時は楽しくなって、ついつい会話をしてしまうのです!!

墨東まち見世の次に墨東大学の話を持ちかけると、乗り気な様子で『何学ぶの?』と聞かれた。具体的例として、壁に貼ってあった「迷子学入門」について話した。向島・京島での路地での体験をもちかけると、『路地に入ったら、鳩のまちにまで行っちゃったよ』と話してくれた。


18:30

「あっ、コロッケ売ってる!」という声が聞こえた。

異質な集団がやってきた。

声(歩いている者同士の声が行き交う。声の抑揚が感じられた。)や雰囲気(目的が明確ではなさそうで、ふらふら回りを見ながら歩いていた)、団体感などからしてよそ者だなと。自分もまだまだよそ者だが、少しだけ中の人から見た外の人に対する感じ方?というのを知った。

その中でも興味をもった女性が京島校舎に来校した。墨東大学のチラシを見て、まっさきに『これSFC(慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス)がやってるんですか?』と聞かれた。確かに主催に慶応義塾大学と表記されているが、SFCまで言い当てた女性に驚いた。どうやらSFCの卒業生らしい。なので、加藤文俊研究室のことを話した。知らないと言われてしまった。しかし、理解度は早く、他にいたメンバー(興味をもっていたものの、京島校舎内までには入ろうとせず、一緒に歩いていた方々45名)に話していた。



合計3人の方が来校してくれた。
中島和成

2010年12月25日土曜日

12月25日〈墨東大学〉大学日誌

1225日(金)


京島校舎に到着してシャッターを開けようとすると、

背後から『あらっ!』という果物屋さんのおかあさんの声が聞こえた。自分のことに気付いてリアクションしてくれたのかと思い、振り向くとお客さんに対しての反応であった。うれしくなって振り返ってしまった反面、勘違いだと気付き恥ずかしくなってしまい、いつもする挨拶をせず、颯爽と中に入った。


買い物に行く途中に、I夫妻が来校してくれた。
K・Iさんは「毎日が楽しいぜ!」の絵を見るのは初めて?だったらしく、消去法から自分の絵を当ててくれた。ズバリ的中!やはり自分が参加した講義のものが回りにあるのは説明や反応しやすくとても良いなぁ〜。

今まで寒く寂しかった空間が一気に温まった。


18:20

以前(1210日)来校してくれたおじさん(なかなか話を聞き取ることができなくて対応に困ってしまった方)が、京島校舎が開いているのを見て、すぐさま校舎内に入ってきた。以前は向かい合わせに座ったのに対して、今回は隣に座った。

入ってきて早々、パソコンを指差して、『これ(パソコン)どうやって使うんだ?』と聞かれた。その場で文字の拡大縮小などを行って、おじさんが見えるまで調整した。
電車内でのペースメーカーによる事件(どうやらこのおじさんは電車に乗っている時、近くでケータイをいじっている人を見るとそれを叩くらしい)から、中国出身の知人が青山学院大学の学院生らしく、亜細亜大学・青山学院大学・大東文化大学など、おじさんが知っている大学の偏差値の順番を聞かれたり、最近の若者の不純さについて語ったり、民主党には票を入れるな(小沢はダメだ!)?など盛りだくさんの話を50分近くした。
隣に座っていることもあり、所々ボディータッチをされた。前回より距離が縮まったのかなとうれしかった。何より全部ではないにしろ、相手の言葉を聞き取れ、話すことができて良かった。


19:20

隣のお店から出てきたペンキの職人さんが京島校舎の前を通りがかった。

『お疲れ!この間(1223日、バナナの差し入れ)はどうもね』と声をかけてくれた。

『はい!』と、ボクは自然と笑顔になった。



合計4人の方が来校してくれた。
中島和成

2010年12月23日木曜日

課外活動

1223

夕方、卒論のインタビューのため、少し京島校舎に立ち寄ってシャッターを開けた。


久しぶりなので、シャッターを開けるのに緊張していた。

以前(122日、〈墨東大学〉大学日誌、参照)に書いた気持ちまでいかないにしても、文章では伝えられない緊迫した気持ちがあった。


いつものごとく、片側のシャッターを2/3ほど開けて、果物屋さんの方を向き、目が合った所で一礼して、中に入るつもりが、シャッターを頭にぶつけた。それを果物屋のおかあさんとおとうさんが見ていて、『大丈夫?』と声をかけて、心配してくれた。
ちょっと痛かったけど、心の中で『今日はいける!』と確信した。(自分のことを受け入れてもらえた気がした。まだ商店街の中で時々しかいない自分は、その日その日でこの空間(キラキラ橘商店)に存在していても良いのか、悪いのかの日々感じているのだ。)


ということもあり、果物屋のおかあさんには、毎回バナナの差し入れをいただくので、今日は自分から買い物に出掛けた。


果物屋さんの目の前に行くと、おかあさんが『(シャッターが)開いてないと、寂しいよ』と真っ先に声をかけてくれた。おかあさんの頭には、前まで空き店舗だった場所で、「学生が何かをやっている!」、という場であると認知されている気がして、うれしかった。毎日数時間でも開いていれば違うのだろうな…。それを言われなくなった方がうれしいけど、そしたら次はなんて言われるのかな…。それとも会話がなくなっちゃうのかな。。


バナナを買おうとすると、1150円のバナナが、残り2房だった。『みんなで食べるかい?だったら、2房で200円にするよ!』と、おかあさんがまけてくれようとした。それならと思い、私は2房買った。この勢いに乗じて会話をした。

年内はいつまで営業しているのか、そして年始はいつからなのか聞いた。

すると、おかあさんの方から『どうして?何かあるの?』と聞いてきた。

『年初めにここ(京島校舎)のシャッター開けようと思うのですが、お店が開いてないなら寂しいですよね。』と私は返した。

それに対しておかあさんは、(記憶が飛んでしいあいまいだが)5日までお休み?5日から営業開始?かを、教えてくれた。

お店によっては、7日までお休みらしい…。

他のお客さんが来たので、私はその場を去った。



数分後、お隣の方が京島校舎を覗きに来た。

いっきに4人も!『何事だ…?』と思い、閉められたままだったもう片側のシャッターを開けた。

『誰だ?この絵を描いたのは?』と、この前もお世話になった常連の方が声を出した。やはり「毎日が楽しいぜ!」の数々の絵は人を引きつける力があるらしい。『オレから見たら、全部ピカソの絵に見えるな!』と、今回は小馬鹿にされた気がした。
なので、今回は『学生や社会人方が描きました!』と、さらりと流した。


そして、いきなり『近くにいい人(女性)いないか?』と聞かれた。『えっ?』、と返した。話を聞くと、どうやら一人暮らしをしているらしく、近所の方に『自転車の置いてある場所が3日間同じだったら、警察呼んでもらうようにお願いしてあるんだよ』と話してくれた。
どんどん話を聞いていくうちに、『ここ(京島校舎)のペンキの塗り方下手だな。自分たちでやっちゃうからいけないんだよ』と話してくれたので、『職業はペンキ塗る方ですか?』と聞いた。どうやらその通りで、その道40年のベテランさんだということが判明した。


もう一人方が、『一杯飲むか?』と声をかけてくれた。すると隣に戻って、『内藤くんに一杯やってくれ』という声が聞こえた。


(「内藤くん」とはどうやら自分(中島和成)のこと意味しているようです。前回隣のお店に誘われた時、そこにいたお客さんに『えっと、墨田区が実家の…「内藤大助」に似てるな!』と言われた。回りにいた方々からも『そういえば!』、『本当だ!』などという意見が一致していた。)


その時のことまで覚えてくれていて、一瞬『えっ?』とは思ったが、なんだか妙にうれしかった。

しかもキンキンに冷えたビールを届けてくれた。冷えきった体ではあったが、格段に美味しくて、心温まるビールだった。


飲み終わると、『どうしよう…。やっぱお金払った方がいいよな』と思って、ビンを返しにいく時、お金を払おうとした。お店の方に『大丈夫みたいよ!』と言われてしまった。


京島校舎に戻って、さきほど買ったバナナを持っていこうと思い、すぐ隣のお店に行った。ペンキ塗りを職業にした方がドアの所にいたので、『さきほどのお礼で…、良かったらみなさんで食べて下さい!』とバナナを渡した。
意外とすぐに受け取ってくれた。警戒されて、『いいよ』と断れるのでないかと思っていたので、ちょっぴりうれしかった。すると、『気を使わなくていいよ。違う…。金使うんじゃねーよ!』と。


ほんの数十分の出来事であったが、すごく充実していた。



合計6人の方が来校してくれた。

中島和成

2010年12月18日土曜日

講義録(ビデオ):みどり荘再生プロジェクト・大掃除



12月8日(土)は、みどり荘再生プロジェクト・大掃除がおこなわれました。なぜか「ブレア・ウィッチ…」的な世界を妄想して、勝手にビビっていましたが、みんなで淡々と荷物を運んで、ゴミをまとめて、どちらかというと、さわやかな大掃除でした。

2010年12月17日金曜日

講義録:オープンキャンプ4: 墨東ポッドウォーク 1(加藤)

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日時:2011年12月17日(金)18:15〜20:00
場所:京島校舎に集合 → そののち「キラキラ橘商店街」を中心に行ったり来たり。
参加者:学生3名+教員1名
内容:(くわしくは講義録を参照)
カワイタクヤ氏考案の「ポッドウォーク」です。2006年ごろ、柴又や丸の内、坂出などで収録しましたが、いまはもっといろいろ実験できる環境が整ってきたので、墨東(とくにキラキラ橘商店街あたり)で収録します。
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18:15ごろに京島校舎に集合。もうあたりは暗い。そして、寒い。そろそろお店のシャッターが降りはじめるころ。きょうは4名で実習です。まずは、内容について簡単に。

カワイタクヤ氏考案の「ポッドウォーカー」は「A地点からB地点までを実際に歩きながらその体験を見えるように解説した音声を、別の人がA地点からB地点を目指しながら聞く」ことを指します。この試みに触発されて、数年前に「まち歩き」ガイドとして、いろいろなところで音声を収録してみました。当時は、こんな感じの説明文を書いていました。
ひとの数だけ、「まち歩き」の体験があります。携帯型音楽プレイヤー(iPodなど)とポッドキャスティングを活用して、あたらしいまちの理解を創造してみようと思います。ウェブを介して、事前にiPodなどにコンテンツをダウンロードしておき、音声を聞きながらまちを歩く。聞こえてくるのは、「いつか・だれか」が歩いた軌跡ですが、足を踏み出すのは、まちがいなく、じぶんです。
つまり、ひとが録音した音声(音声ガイド)を聞きながら歩くという体験です。最初は、いわゆるナビゲーションのために、目的地に向けて音(声)で案内することを考えながら収録をしていましたが、やがて、これは、歩きの〈お供〉としての魅力があることに気づきました。誰かのおしゃべりを聞きながら歩くという体験そのものが、まちへの関わりかたを変容させるからです。
(参考までに、過去に収録した音源は、下記のサイトで聞くことができます。)
・京都(2006) http://vanotica.net/snd/kyoto_06.html
・柴又(2006) http://vanotica.net/snd/shibamata.html
・坂出(2006) http://vanotica.net/snd/sakaide.html

今回の講義は、墨東エリアでポッドウォークのコンテンツをつくるための準備として位置づけられます。「墨東大学」の主旨もふまえ、目標とするのは、以下のようなコンテンツです:
・(当然のことながら)墨東エリア(たとえば「キラキラ橘商店街」)で収録される。
・墨東エリアに暮らす人/墨東にくわしい人と一緒に歩いてもらう。
・墨東エリアのまち並みの楽しさ(賑わい、複雑な路地、などなど)を音で再現する。
・だいたい、15分くらいのコンテンツをつくる。
第1回目の試みとして、おもに「15分間のウォーキング(=大まかに考えると1kmの語り)」を意識しながら、「キラキラ橘商店街」を歩くことにしました。まだまだこれからですが、いちおう「墨東ポッドウォーク」プロジェクトをスタートさせることができたと思います。

【実験 1】2人+2人に分かれて実験開始。2人でおしゃべりをしながら歩き(これをウォーカーと呼びます)、その後ろを2人で尾行(チェイサーと呼びます)します。ウォーカーは、まちの刺激を受けながら、〈お供〉になりうるコンテンツを収録します。いっぽう、チェイサーは、数メートル後ろを追いながら、もっぱらウォーカーたちの様子を観察し、気づいたことを録音します。15分間かけて、商店街を歩く(立ち止まるのはOK・道を曲がるのはNG)ことにしました。

【1-A】まずは東武亀戸線の踏切から明治通りに向けて、栗林と加藤が歩きます。それを、大崎とナカジが追いました。
●ウォーカー(栗林+加藤)

●チェイサー(ナカジ+大崎)


【1-B】今度は、明治通り側をスタート地点に、踏切に向かって中島と大崎が歩き、それを栗林と加藤が追うというバージョン。


●ウォーカー(ナカジ+大崎)

●チェイサー(栗林+加藤)


この実験は、商店街を15分かけて歩くという制限でおこなったので、ふつうのスピードで歩いていたら、どうしても時間が余ってしまいます。つまり、立ち止まったり、誰かに声をかけたりする時間を設ける必要があります。この実験では、それぞれが時間を「潰す」「かせぐ」というふるまいになってしまったようです。

【実験 2】メンバーの組み合わせを変えて、同じやりかたでもう一往復です。立ち止まるのを禁止。商店街からの分岐(横道に入るなど)のはOKとし、15分間歩き続けてゴールに到達するバージョンで収録してみました。

【2-A】ふたたび、踏切を起点に明治通りに向けて歩く。今回は立ち止まったりせずに15分間歩くというパターン。ナカジ+加藤が歩くのを、大崎と栗林が尾行。
●ウォーカー(ナカジ+加藤)

●チェイサー(栗林+大崎)


【2-B】ふたたび、明治通りから踏切まで。大崎と栗林が歩き、ナカジ+加藤が尾行。
●ウォーカー(栗林+大崎)

●チェイサー(ナカジ+加藤)



このバージョンのほうが、楽しかった…という印象です。参加者の皆さんからの感想などが届いたら、追記するつもりです。まずは、最初の報告でした。
(加藤文俊・2010/12/17)

2010年12月16日木曜日

講義録:フィールドワークあるある大会(仮)(臼井・仲尾・村井)

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日時:2010年12月16日(木) 16:00〜18:00
会場:旧アトレウス家
講師:臼井隆志、仲尾千枝、村井洋子
参加人数:16人
内容:街や地域に関わり始めて、「フィールドワーク」という言葉を頻繁に耳にするようになりました。学校で勉強する「フィールドワーク」は、記述や写真でデータを取り、論文や地図や相関図に編集する膨大な作業です。一方でただ現場におもむいて街を歩いたり人と話をしたりすることだけの作業でも「フィールドワーク」と呼ばれることもあります。
本講座は、こんなふうに定義や実態が曖昧になってきた「フィールドワーク」を研究の手法として実践している学生が開講します。「フィールドワーク」という作業の過程で生まれる「あるある」エピソードを出し合い分類する、受講生参加型のブレインストーミングを行い、「フィールドワーク」の経験の整理とその効用の明確化を目指します。
「フィールドワーク」をしたことがなくても、日記などをつけて記録をするのが好き、出来事を人に伝えることに興味がある方を受講生として募集しています。ぜひふるってご参加ください。
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経過:
第1部:フィールドワークの“あるあるネタ”!
「調査対象者に自分の研究のことをどこまで話す?誤解されたままでいいのかな?」
「調査対象の欠点を指摘したり、傷つけたりするような記録は公開できないよな…」
「「客観的なデータを!」とフィールドワークの教科書的な本には書かれているけど、個人の主観でもいいんじゃない?」
「現場に関わるのだから、現場の動きを多少操作してもいいのでは?」
「なかなか現場の雰囲気を文章化できない。現場をイキイキと描き出すために、記録のルールの設定が重要。」
フィールドワークを今まさに経験している4年生を中心に、フィールドワークのあるあるネタを出し合いました。


第2部:オリジナルのフィールドワークを考える!
3グループに分かれて、第1部の“あるあるネタ”から自分たちがするフィールドワークを企画しました。①テーマ②期間③場所④記録方法⑤アウトプット の5項目を発表。
→発表内容:
・リア充とは?: Nさんの合コン体験から考える
・家の間取り: 想像と実際
・オンラインフィールドワーク: 2ch就活板から
(報告:臼井隆志)

2010年12月11日土曜日

12月11日〈墨東大学〉大学日誌

1211日(日)

 今日、人は京島校舎の前を通りがかるものの、なかなか中に入ってくる人はいなかった。横目でちらりと見るだけや、立ち止まって雨風でふにゃふにゃになったままのチラシを立ち止まって見るだけだった。

休日ということもあって、このまちに観光や遊びにきた人が多かったのかなと感じた。


16:30

 おじさんが「毎日が楽しいぜ!」の絵を指して、『すごいな!』と言った。『特にこれがすごい!』と左から3番目の絵を指した。『オレの心を揺さぶった。これどういう意味かわかるか?』と聞いてきた。「毎日が楽しいぜ!」の絵を描いた当初は、『問題作だな、こりゃ…』なんてことを参加者の方に言われていたのに比べ、テンションが高まってきた。うれしくなってつい、『これ自分の絵なんです』と答えると、『お前才能あるよ!』と返してくれた。最初は幼稚な絵を描いているから小馬鹿にされているのかと思ったけど、『これわかるやつにしかわからないよ。ピカソや、岡本太郎の絵と一緒だよ。』とまで言われ、さらにうれしくなった。『これから一杯飲むけど、飲むか?』と声をかけてくれた。

グルメシティに行って、烏龍茶、焼酎、おまんじゅう?を買ってきてくれた。そのおじさんは『忙しいから帰るわ』と言い、さっそうと姿を消した。


16:50

 「京島発見!Photoコンテスト」の登録をしに出掛けた。

そこの(京島校舎斜め向かいにある「白い鯛やき あん吉」)お兄さんに『おっ!学生。コミュニケーションだもんな。やるよな!』と声をかけられた。もちろんです、と返事をすると、『ぬるくなっちゃったけど、これやるよ!』と缶コーヒーをポケットに入れてくれた。この温かさにうれしくかった。
参加費の1000円を払うのに5000円を出すと、『お釣りいらないんじゃない?』と。こういうやりとりを求めていた自分がいて、さらにうれしかった。もちろん、お釣りの4000円は頂きました。。

 17:00を過ぎ、受付をしていた方々が、京島校舎の前を通りがかった。『おっ、兄ちゃん。さっきはありがとな!』と声をかけてくれた。この商店街の中で一番若くして、経営している人ではないだろうか…。力強い味方に仲良くしていただけた。


17:40

 ただ、このままたいやき屋さんのお兄さんに忘れられてしまうのもイヤなので、たいやきを買いに行った。まだ覚えてくれていた。お兄さんが『さっきはどうも!』と。『そんなぁ、500円得させてもらってるんですから』と返した。『そこ寒いよね。大丈夫?』と心配してくれた。以前買いに行った時には、聞かれなかった一言だった。
購入したたいやきと、入れたてのコーヒーをサービスで届けてくれた。なんとそのコーヒーにも変化が…。以前はブラックだったのが、クリープ?ミルク?入りだった。温かかったし、めっちゃおいしかった。体も心も温まりました。ありがとうございます、と心から言いたいです。


 1人の方が来校してくれた。

中島和成

2010年12月10日金曜日

12月10日〈墨東大学〉大学日誌

1210日(土)


 木村健世さんの「迷子学入門Ⅱ」が終わり、京島校舎が一気に寒くなったし、寂しくなった。シャッターを下ろそうか、迷っていた。しかし、果物屋さんやたいやき屋さんも開いているのに、開けておかないわけがないだろう、と自分に言い聞かせた。

19:30

 おじさんがふらりと立ち寄る。すぐさま畳に座った。「毎日が楽しいぜ!」の絵を見て、『誰が描いたんだよ?小学生か?』と、おじさんが話しかけてきた。申し訳ないことに、話していただいた内容の7割は聞き取ることができなかった。時々聞き返したりするがそれでも聞き取れなかった。それでもコミュニケーションが成立させているかのように相づちを打っていた。

『なんのために(実際の)大学行ってるんだい?行った所で就職なんてないだろうに…』と。確かに自分は就職や進学が決まったわけでもないので、苦笑いしながら答えていた。

『ここの(キラキラ橘)商店街はイイ所だよ。亀戸の商店街なんて恐くてダメだよ。』など、30分近く、話をした。



(おじさんと話をしている最中の出来事)

ティトスの子まちに来ていた女の子とそのおかあさん京島校舎の前を通りがかった。女の子が『あっ、メガネ!』とこっちを指差した。おかあさんが笑っていた。まさか京島の空き地以外で声をかけてもらえるともらえるとは思わなかった。


Y・Kさんが京島校舎の前を通りがかった。『また来るね!』と言って、去っていった。


20:00

 おばさんが2人来校した。通りがかりに興味をもち、京島校舎の中に入ってきてくれたみたいだったので、『「墨東大学」という企画をやってます』、と説明すると、『大学病院もつくってくれればいいのにね!』と笑っていた。

 生まれも育ちも墨田区という一人のおばさんが『私はこの区から出たことないんだけど、外の人から見て、ここどう思います?』と話しかけてきた。渋谷や新宿など東東京を引き合いに出しながら、『ご近所と仲良く、助け合いながら生活をしていくことが大切です』のような回答をした。すると、『だったらもっとここに貢献できることしないと。商店街の会合には出たの?若い人の意見を取り入れて、一緒にやっていかないとね』と言われた。確かにまだ告知が至らない部分もあるが、自分たちだけで楽しんでいる部分はもちろん前々からわかっていることだしな…と、自分に言い聞かせながら聞いていた。

 『ちなみにここ(京島校舎)の前の人が通る人数数えたことある?』と問いかけられた。そう言われてみると数えたことはなかった。『今度時間帯決めて数えてみなさいよ。これで100人ぐらいしか通らなかったら(商店街の会合で)言わなきゃダメよ。もっと人が来るにはどうしたらいいかって。明日(1211日)朝市があるんだから色々なお店に行って、お客さんに『どこから来たんですか?』ってインタビューしてきたらいいわよ。それをまとめて商店街の会合で話したらいいのよ』と。話を聞いているだけで、このおばさんからはキラキラ橘商店街が好きなのだなという想いがかなり伝わってきた。『ちなみに、イトーヨーカドーは行かれたんですか?』と聞くと、『言ったわよ。ダメね~笑。でも、ここの商店街好きだから買い物してるわよ!』と返してくれた。

 帰り際に、『この畳に動くの?危ないわね~』と言った。もう自分は慣れているから、感じなくなったけど、知らない人が座ると確かに危ないかもしれない。

慣れてしまうと、色々見えなくなってしまうことが多い。



20:30

 M・Iさんがやってきた。「おしょくじ」に関することを聞かれた。『墨大の講義に「おしょくじ」ってあるけど、どっち(向島or京島)のかな?』と。『もしここ(京島校舎)に置いてもいいなら、Bunkanから(京島おしょくじ)持ってくるけど、どうする?』と聞かれた。京島校舎のシャッターが毎日開けていられるならいいけど、そういう状態にできていないしな…と反省した。『ここ(京島校舎)のシャッターが開く日に、Bunkanから運べばいいのかな…』と言われたので、『もしそういうことになればやりますよ!』と返事をした。後日、加藤先生?にご連絡するようなことを言っていた。


合計5人の方が来校してくれた。

中島和成

2010年12月8日水曜日

墨大チラシ

128日【墨東ストーリープロジェクト(荒川・市川・岡部)】の講義だった。

振り返りをする前に、おやすみ処「橘館」の前にある鳥正にお惣菜を買いに、都市大の3年生、C・Sさんと行った。2000円という上限で156人が満足できるにはどうしたらいいか、2人で悩んでいた。すると、店内からそこのおかあさんが出てきたのでこのことを相談すると、「そういうことは、どんどん相談してくれないと。下町のいいところなんだからさ。」と言って、60円の焼き鳥を50円に、220円、320円のお惣菜を200円にまけてくれた。唐揚げもあるだけ袋に包んでくれた。

最後に、墨大を説明すると、壁に貼られてるメニューに並べて、墨大のチラシを貼ってくれた。やったねー♪


職員としての仕事、一歩目?です。
どんどん増やしていきたいなー!!

2010年12月7日火曜日

講義録:大人の学び論 II(長岡健)

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2010年12月7日(火) 18:30〜20:00
講義名(担当者):大人の学び論Ⅱ(長岡健)
集合場所:墨東大学(京島校舎)
参加人数:8人
内容:私たちが「学ぶ」という言葉を使うとき、そこには「何かを身につけること」という意味が込められていることがほとんどです。しかし、「学ぶ」という活動を「考え方や振る舞い方が変わること」と理解するなら、「知識やスキルを身につけること」だけでなく、「これまでの考え方や振る舞い方を棄てること」=「学習棄却(unlearn)」も意味あることだと言えるでしょう。本講座では、この「学習棄却」という概念を取り上げ、「従来の認識を捨て去ること」や「状況に適応しないこと」の意味、それを実現するためのヒントを探ってみたいと思います。
 なお、墨東大学「大人の学び論Ⅱ」では、「大人の学び論Ⅰ」に引き続き、「教員/受講者」の関係を逆転させた授業運営を行います。今回のテーマである「学習棄却(unlearn)」を中心としながらも、それに限定することなく、「大人の学び」に関する様々なトピックの中から、受講者が「聴きたいこと」をその場で選んでもらい、担当教員が出来る限りそれに応えていく、という授業運営を行います。そして、通常とは異なるこのような授業の経験をもとに、墨東大学での「学び」の意味を参加者全員で探ってみたいと思います。
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 前回の「大人の学び論Ⅰ」に引き続き、「大人の学び論Ⅱ」でも、教員があらかじめ話す内容を決めず、受講者がその場で聴きたい話題に教員が応える即興形式で進めました。当日は、7名(社会人:3名、大学生:4名)の参加がありましたが、大学生の参加者から「フィールドワーク」に関連した話しが出ましたので、お題は「フィールドワークと学び」ということにして、講義を始めました。このテーマは全く予想していなかったのですが、私が日頃感じている「ビジネス・エスノグラフィー批判」のような話しから始めてみました。

 近年、ビジネス関係者、特にマーケティングや商品開発に関わる人々の間で、「エスノグラフィー」や「フィールドワーク」という言葉が話題に上ることが多くなってきたようです。このような現象自体はなかなか興味深いのですが、ビジネス関係者の多くがエスノグラフィーに期待していることと、私がエスノグラフィーについて考えていることの間に、けっして小さくない開きがあることも事実です。ビジネスの文脈では、エスノグラフィーは隠れた消費者の行動や嗜好を明らかにする「魔法の杖」のようなものだされているようです。つまり、エスノグラフィーを「手法」と見なし、「調査対象(者)との関係」において理解しているということです。
 一方、私の方は、他者とかかわることを通じて調査主体が変化していくプロセスとして、エスノグラフィー(ないしはフィールドワーク)を理解しています。もちろん、フィールドワークを通じて何を発見したかを考えることは重要です。でも、その発見は「魔法の杖」によってもたらされたのではなく、調査者自身の「モノの見方」が変化していったことにより、それまでアタリマエに思えていたり、何気なく見過ごしてきたことが、違ったものに見えてきた結果ではないでしょうか。これは、フィールドワークを「学習棄却(unlearn)」のプロセスとして理解することだとも言えるでしょう。
 では、今回の「大人の学び論Ⅱ」での講義体験を、私にとって「墨東大学という場へのフィールドワーク」だと見なしたとき、私の中でどのような「モノの見方」の変化があったのでしょうか。


 フィールドワークでは、「よそ者(ストレンジャー)」の目線で見ることが大切だと言われます。現地の人たちにとってはアタリマエに思えることが、よそ者にとっては摩訶不思議に見える。このギャップを浮き彫りすることがフィールドワークという活動の重要な一部を構成しているということです。
 でも、現地の人々と触れる時間が長くなるにつれ、よそ者の目線は、徐々に現地の人々の目線に近いものとなっていきます。それまで違和感を覚えていたことが徐々にアタリマエになっていくにつれ、現地にいることにある種の心地よさを覚えるようになるものです。そして、この「心地よさ」と引き換えに、フィールドワーカーは「よそ者の目線」を失うことになります。
 前回「大人の学び論Ⅰ」の開始直前、とても緊張している自分がいました。誰が来るかも、どんな時間を過ごすことになるのかも分からず、逃げ出したいような気分もほんの少しだけあったような気がします。でも今回、「大人の学び論Ⅱ」は少し違っていました。もちろん、事前に講義内容を決めない「即興的な講義」ですから、「どんな時間になるのだろうか?」という、落ち着かない気持ちはありましたが、前回とは違い、この気分を楽しもうというゆとりがあったように思います。たった1回参加しただけではありますが、墨東大学の不思議な雰囲気に慣れてしまい、ある種の「心地よさ」を感じるようになったのかもしれません。
 おそらく、前回と同じ場所で「大人の学び論Ⅱ」を開講していたなら、私の感じた「心地よさ」は講義開始後もそのまま続いていたでしょう。でも、今回の開講場所が、前回感じたものとは異なる摩訶不思議な気分を、私にもたらしてくれました。
 今回の開講場所、「墨等大学京島校舎」がまさか商店街の真ん中に位置しているとは、知りませんでした。しかも、道行く人々から数メートルしか距離のない位置から、あたかも買い物で行き交う人々に向かって講義をしているかのような状況になるとは、全く想定外のことです。実際、講義中に何度も道行く人と目が合ってしまいましたが、そのほとんどの人が、「こんなところで何やってんの?」といぶかしそうな表情をしているように私には見えました。心の準備も全くないまま、「よそ者に対する視線」を思い切り浴びせかけられた私は、どう振る舞ったらいいかが分からず、講義をしながらもそのことが気になってしかたがありませんでした。おそらく、私の中では、今回受講者として参加した方々への意識と、道行く人々への意識が半々ぐらいだったような気がします。


 さて、フィールドワークでは「よそ者の目線で見ること」の重要性が指摘されていると、先に述べました。そして、「よそ者の目線で見ること」に私自身の意識が向かっていたことを否定できません。それに対して、今回の体験は、「よそ者に対する視線を浴びること」への意識を喚起するものでした。まだはっきとしたことは言えませんが、フィールドワークを「学習棄却(unlearn)」のプロセスと見なすなら、よそ者として見られている際に覚える何となくの違和感が、私自身の振る舞いを変えていくきっかけになるかもしれません。
 次回の「大人の学び論Ⅲ」まであと50日以上あります。その間、次の「墨東大学という場へのフィールドワーク」がどんな「モノの見方」の変化を私にもたらしてくれるかを楽しみにしつつ、今回の体験についてじっくりと考えてみたいと思います。
(報告:長岡健)

2010年12月6日月曜日

12月6日〈墨東大学〉大学日誌

126日(月)京島校舎オープン

 京島校舎のシャッターを内側から開けようとすると、すでに商店街のお店のシャッターが開けられているであろうという時間帯だった。
この状況は緊張する。シャッターを開けたら前に果物屋さんのおかあさんがいて、開けた瞬間に何かしら話さなくてはいけないのではないか、という使命感にかられる。話しするのが嫌いなわけでもないし、果物屋さんのおかあさんが嫌いなわけでもない。むしろよくしていただいていて、感謝しているぐらいだ。
商店街のお店がシャッターを開ける時間帯に、遅れて「開ける」という行為が仲間はずれなことをしている気がして、申し訳ないと考えてしまう。

 なので、内側から鍵だけを開けておいて、裏から回り、今やってきました感を出して、平然とシャッターを開けよう考えた。しかし裏から回ろうとすると、お隣のもつ焼き屋さんのモノが置いてあり、道が封鎖されていた。

 そこで勢いでシャッターを開けることにした。開けると、果物屋さんのおかあさんがいなくて、安心した。でもやはりシャッターを開けたことだし、挨拶あるのみ!と思い、おかあさんが出てくるのを待った。
おかあさんは『おはようございます』と、いつもと変わりなく挨拶を交わしてくれた。自分にとってそれが何よりうれしかった。そして、自分がいないときの情報を話してくれた。『土曜日、男性の人がシャッターを開けたね。お知り合いの人?』と。木村さんのことだとわかった。

14:00

 お巡りさんのお茶目な一面が見られた。
しかしその状況を文章で説明するのは難しい。この商店街にとって欠かせない存在であることは間違いない。

14:20

 2人の女性が京島校舎の前を通りがかった。
片方の女性が『ここ何屋さん?』と話しかけると、もう片方の女性が『しー』と返答していた。何か悪いことでもしたのかとすごく不安になった。一人でシャッターを開けていたくないと切に願う瞬間だ。

14:30

 『ただいまー』と、女性が幼稚園か保育園帰りの子どもの手を引き、お店の人に挨拶をしながら、商店街を歩いている。京島校舎にいる自分はその対象として、見られてはいなかった。いつもシャッターが開けているのが当たり前になれば、その対象として見てもらえるのだろうか…。


16:00

 シャッターを下ろしていると、前回も来てくれたおばあちゃんが声をかけてくれた。『今日はもう大学終わりかい?』と。一言だけだったが、うれしかった。

今度は畳に座ってもらいたいなぁ。

中島和成

2010年12月4日土曜日

講義録:みどり荘再生シリーズ (1) 大掃除(大橋)

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12月4日(土)
12時半 京成曳舟駅明治通り側改札集合
参加者:5人(大橋、藤原、工藤、北條、大崎)
内容(講義概要より):八広1丁目にある「みどり荘」という廃屋アパートを再生するプロジェクトの、最初の一歩である大掃除をします。
近年墨東エリアで多く巻き起こっている「誰も入らなくなった廃墟をオープンスペースにする」までのプロセスを体験していただきます。
みどり荘は再生されたのち、来秋には展覧会の予定があり、その後は地域のアートセンターとなることを大家さんは望んでいます。
墨東大学が参加している墨東まち見世などの動きも手伝って、これまで地域住民にあったアートに対する不信感や無関心が変わりつつあります。
また、なぜ「みどり荘」が廃墟になったか、いつ建って、そこにどんな人が住み、なぜ出ていったのか、どんなまちにでもあるかもしれない影の部分に入り込み、普段では見られないまちの側面も見てみましょう。
年内は大掃除に終始し、年明けからは具体的なリノベーションなどをする予定です。(変更になることもあります)
※汚れてもいい格好でお越しください。
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まず、全員で手つかずのみどり荘を見てみる。一番手前にはかつて塗装業を営んでいたと見られる内容の工具・材料が不法投棄された部屋がある。ここは床も抜けていて手を付けられない。

その奥ふたつの部屋はがらんどう、ここは拭き掃除と空気の入れ換えくらいで良さそう。後回しにする。
新聞紙やペットボトル、牛乳パックや下駄箱、朽ちた椅子や盆栽などがうち捨てられていて進めない廊下を片付けながら進み、その奥、最果ての部屋は開かずの間。次回開けることにする。

その向かいが夜逃げ後の部屋。おそらく家捜しされたであろう状態で放置されている。
床に散乱する布団、新聞や食器、帽子や色鉛筆などの細々した物。ひと1人がやっと通れる玄関を抜け、3人入ればいっぱいになる狭い部屋、足の踏み場がないとはこのこと、かまわず土足で入る。


狭い部屋に似つかわしくない大きなテレビの上には民芸品が並ぶ、水の枯れた水槽の中には白骨化した魚がいるのである。タンスを開ければ束になったモノクロ写真。
生活が突然中断されて長い時間放置された荒廃感と、中断されるまで続いていた生活の生々しさ。冷蔵庫はこわくて開けられない。

この日は分別もなくひたすらこの部屋の物を捨て、15時半頃終了。道ばたでお茶を飲みながら、ここがどんなふうに使われたらいいと思うか、話し合う。

次回は12月18日(土)、開かずの間、階段下、不法投棄の部屋の荷物運びなどを予定している。

2010年12月2日木曜日

12月2日〈墨東大学〉大学日誌

12月2日16時京島校舎着

 キラキラ橘商店街に近づくに連れ、まだなじめない感が高ぶってきた。
テンション落ち気味だった。京島校舎の前に到着すると、自転車が2台駐輪されていた。やはり、まだシャッターが下ろされた状態のままでしか認知されていないのだなと感じた瞬間だった。シャッターを開けると、それに気付いた女性が『悪いね。邪魔でしょう。』と少し怒った様子で自転車を移動させた。

 通りがかりにおばあちゃんがやってきた。すごいノリノリで墨東大学の話を聞いてくれた。その場で講義の提案までしてくれた。『墨田区観光協会のような墨東ガイドツアーとかしようかしら』と。笑って帰った。また来てくれるといいなぁ。

 続いてお巡りさんが見に来た。墨東大学の説明をした。去年のまち見世の時のことを覚えてくれていた。『音出さないよね。やっぱここは下町だからさ…。60歳の定年過ぎて勤務させてもらっているイイ所だよ、ここは。以前いきなり大きい音を出されて迷惑したよ。事前に一言言っておいてもらえれば別だけど…。』と音出しに関する注意を受けました。なので音を使う講義がある際には気をつけて下さい。
 お巡りさんが京島校舎の前を掃除してくれた。もちろんそれはここの京島校舎の前に限った事だけではないと思うが…。
 巡回でもあると思うが、周辺のお店を尋ねてはお話をしていたり、モノを頂いていたりと、普段他のまちで見る交番のお巡りさんとは違っていて、頼もしく、ここのまちに欠かせない存在であるのだと感じた。


『自画持参(自画持参研究室)』に続く…。


合計2人の方が立ち寄ってくれた。

中島和成

12月3日〈墨東大学〉大学日誌

12月3日12時京島校舎オープン

 若いカップルが通りがかりに、
男『ここなんだか知ってる?休憩所。』と知っているかのように言っていた。
おやすみ処「橘館」と勘違いしているのか、それとも認知されているのか疑問を覚えた。

 前の果物屋さんと隣の揚げ物屋さんが様子を見に来た。『畳があると温かく見えていいわね』など、墨東大学の説明をする時に迷子学入門のことを例に出すと、『私たちだってね、路地が多くて、未だに迷子になっちゃうわよ』と返してくれた。地元の人にやってもらっても面白いかもと思った。
 ボールペンのお礼にと果物屋のお母さんからバナナを『みんなで食べてね!』と、たくさん頂いた。

14:30

 早稲田大学の学生が来校した。向島・京島のまちをフィールドしている研究室だとのこと。今日、まちづくり・まちの取り組みの調査ということで、キラキラ橘商店で撮影をしていた。早稲田の学生ということもあって、墨大のチラシを手に取った瞬間、『慶応の学生ですか?』と聞かれた。『都市大です。』と答えるとちょっと笑われている気がした。『また伺います!』と言って去った。

15:00~17:00 出掛ける。

17:30

 お使い帰りの子どもがガチャガチャを見て、『まだできない?』と言った。意外とココにガチャガチャがあることが浸透してるのかなと驚いた。

17:50

 前回も来てくれた方が、今日も来てくれた。『どう?盛り上がってる?入学式はやったの?』など声をかけてくれた。通りがかりではあるものの、立ち寄ってくれるのがうれしかった。

18:20

 ボールペンのお礼にとお隣の天ぷら屋の方に、エビの天ぷらを頂きました。

18:30

 酔っぱらったお隣のお客さんが『何をやってるの?』と覗きに来た。『教員は何を教えるの?学生は何を学ぶの?』と聞かれた。教員に関しては、講義の事例を紹介したり、このまちに関すること、興味のあることなどを話したりしたが、学生は…との問いが答えられなかった。向島学とは言えずに、何でも学びますと、答えてしまった。


『毎日が楽しいぜ!(市川)』に続く…


合計7人の方が立ち寄ってくれた。

中島和成

2010年11月30日火曜日

墨東カンバッチP はじまります(予告)

近日中に、京島校舎のガチャポンがオープンします。カプセルの中身は、墨東カンバッチです。いわゆる「ご当地バッチ」で、すべて一点モノになります。手づくりなので、ちょっとブサイクな仕上がりのものもありますが、許してください。
まずは、先日おこなわれた「カンバッチワークショップ I」で制作されたバッチを中心に、徐々に充実させていきます。
くわしいことは、別途、お知らせしますが、どのようなカンバッチがあるか、紹介文が届いたので紹介します。↓ 写真は「ちょうちんシリーズ」です。


【1】墨東メニュー(全8種類)
わたしはキラキラ橘商店街にあるおでん屋「おでん種 大国屋」さんのメニューを缶バッチにしました。夜7時をすぎ、ほとんどのお店がシャッターを下ろし始めているなか、店先で湯気をもくもくさせながらおでんを売っているお店を発見。墨東らしく、店長さんはとても気さくな方で、写真の要望にも「いいよー撮ってって―」との声。遠慮なく4、5枚撮らせていただきました。メニューはお店の壁の高いところに貼られており、値段ごとに一枚の紙になっていました。値段帯は60円から150円(160円?)、それに季節のおすすめも含め全部でちょうど8種類。
70円のバッチはわたしが持っていますが、みなさんぜひガチャガチャしてみてください!つくねがおすすめかも…!!(作:新飼麻友)

【2】ちょうちんシリーズ(全8種類)
このシリーズは、墨東大学京島校舎の周辺で見つけた、ちょうちんの写真を集めたシリーズです。
カンバッチを製作するためのフィールドワーク時、あたりは既に暗くなり、満足に写真を撮影することは難しい状態でした。そこで、私が目を付けたのは、まちの中で光り輝くモノ。奇しくも、京島校舎が位置しているのはキラキラ橘商店街です。写真を撮り歩いていると、あるモノが多くあることにきづきました。そう、ちょうちんです。居酒屋や中華屋、さらにはもんじゃ焼きやもつ焼き等、下町風情を感じるお店まで。店先には煌煌とした明かりがともっています。夜でなければ見ることができない、墨東のまちにひろがる星たちー光り輝くモノをひとつひとつ拾っていったのが、このカンバッチです。
たくさん集めれば、自分だけの飲み屋街を作ることができます。また、シークレットは、飲み屋で見つけた、おじさん達のキラキラとした笑顔。これも 夜にならなければ、見つけることのできないモノなのです。(作者:三枝峻宏)

【3】墨東ストレイキャッツ(全11種類)
墨東エリアに初めて訪れた時の写真を見返したら、そのほとんどがノラ猫でした。闇雲に路地を歩くと、曲がり角のたびになぜか猫がいることに気づきました。入り組んだ路地は猫にとって住みやすいのか、我が物顔で鎮座しているのが印象深かったです。そんな猫たちの写真を見返しながら、ちょっと誇張も含めながら墨東ストレイキャッツを缶バッジ用に描いてみました。どこにいるかは分からない墨東の猫たちなので、この缶バッジを持って歩いてもモデルに出会うことはできないだろうなと思いつつ、そんな形の表現もあっていいかなと割り切って作りました。どこにいた猫なのかは私にも分かりません。 (作:堀田洋子)

【4】キラキラキャラバッチ(全8種類)
京島キラキラ橘商店街で私が出会ったのは、個性豊かなキャラクターたち。
店の灯りでぼんやり燈る一本道を、のぼりや壁、屋根の上から見守っている彼らをみていると、おもわずほっこりした気持ちになります。その中でも厳選した8匹のキャラクターが今回のバッチのモチーフ。ここでしか出会えない温かさが、そこにはありました。
このバッチを引き当ててくださった方、是非商店街を歩いて、モチーフになった子を探し当ててください!(作:青木日登美)

他にも、続々投入予定。
カンバッチアーティストの皆さん、墨東エリアをモチーフとする作品を募集しております。「カンバッチワークショップ」も、何度か開講される予定ですので、ご期待ください!

2010年11月29日月曜日

11月29日〈墨東大学〉大学日誌

10時30分
レンタサイクルで借りていた自転車を返却しにアトレウス家へ行く為、シャッターを開けて外に出た。
向かいで果物屋を経営されているお母さんが『おはよう。昨日は泊まったの?今日は日差しが強くて、気持ちいいね。』と声をかけてくれた。朝、家族に声をかけられた時はいい加減に返事をしてしまうのだが、気持ちよく返答をした。

11時30分
自転車の撤去も終わり、シャッターを開けて、京島校舎を開放した。
いつもお世話になっている山田薬局のFさんや、さがみ庵のご主人が通りがかりに挨拶をしてくれた。
平日の商店街ということもあり、人通りはあるものの、横目でチラ見する程度だった。
気になった人は向かい側の果物屋さんのお母さんに聞くだけで終わってしまう状況だった。

まち見世でお世話になった方々に挨拶回りをするため、14時40分〜16時頃シャッターを閉めた。

戻ってシャッターを開けるとすぐ、お隣の「きくのや」のご主人と常連さんが見に来てくれた。
近くにあるガチャガチャに食い付いて、会話をした。
『来いよ!』と常連さんに誘われ、岡部先生の講義(加藤先生の代講)で学生が作成したカンバッチを持って、お店でたくさんの方に見て頂いた。
かなりの高評でさっそく服につけようともしてくれた。(最終的には戻してもらった。。)
常連さんに焼き鳥やいなり寿司、サンドイッチなどごちそうしてもらった。
そこでは墨東大学の話に加え、自分の実家や大学など少しお話をした。
どんどんお客さんも増え、京島校舎に戻った。

その後、Fさんが来てくれて、『もっとこうしたらここのスペースの使い方がよくなるから!』などのお話をして頂いた。詳しい内容ですが、28日のお引っ越し(加藤先生の講義)で搬入した畳を見て、『大きすぎて、地域の人が座るには抵抗がある。座ってもらえる一工夫がほしい』とのことです。他には、『外から見て、何をやっているのかがよくわからない。大学らしく講義名を書いた時間割など見てわかることを増やして欲しい。ネット上だけに情報をアップするだけ終わらせるのではなく、地域の人とフェイスtoフェイスで接してもらいたい。』などです。

20時30分
ようやく小学生が足を止めて、ガチャガチャを見た。
しかし中身が空だと気付き、すぐに帰ってしまった。
自分も早くカンバッチ作って、そのカンバッチを手にした人がどんな反応するか見てみたくなった。

斜め向かい側にある「白い鯛やき あん吉」の方がシャッターを下ろして帰る時、「白い鯛やき あん吉」の向かい側にある「きくのや」のご主人に『お疲れさまでしたー!』との挨拶をして帰っていった。
お互いが言い合える関係を構築していきたいと切に願った。

21時
シャッターを下ろした。


合計で6人の方が今日は立ち寄ってくれた。

中島和成

2010年11月26日金曜日

講義録:ミニマムアーバニズム I(木村)

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2010年11月20日(土)21日(日)26日(金)16:00〜18:00
講義名(担当者):ミニマムアーバニズムⅠ(木村)
開講場所:墨東大学京島校舎、キラキラ橘商店街
参加人数:1名

内容:受講者自身がインタビューによってまちに住む人の要望を聞き、椅子のデザインを考え、作成、納品します。
このプロセスから、「まちづくり」や「都市計画」の原点を見つめなおします。
※当初の予定ではキラキラ橘商店街の店舗前に設置するベンチを製作する予定でしたが、今回のクライアントである山田薬局の藤井さんの要望により、急遽店内で使用する椅子をつくることに予定変更。
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【一日目:11月20日】
今回の「ミニマムアーバニズムⅠ」、受講者はなんと@woochoi一人。教員である僕と二人きりで授業のスタート。
墨東大学はなかなか豪華なのです。


墨東大学京島校舎にずらっと並んだ木材、電動工具を前に簡単にミーティングを済ませ、さっそく今回の「クライアント」である山田薬局の藤井さんの元にインタビューに向かいます。藤井さんには前もってお店に置く椅子を作らせて欲しいということをお願いしてありましたが、こんな奇妙な願い事にも快く応じて下さる藤井さんは、やはり大きな包容力=墨東マインドを持った方で、今回はその大きな心に応えるべく作業に励みました。
インタビュー場所はまさに椅子が納品される店舗。@woochoiが緊張した面持ちで「どんな椅子が欲しいか」をインタビューします。そこで藤井さんが語った要望は以下のような意外かつ難易度の高いものでした。

・レジカウンターの奥のスペースで使う椅子
・カウンター奥のスペースは奥行きが35cmしかない
・ゆったり座るというよりも、半分立ち、半分座るという姿勢をとりたい

カウンターの奥のスペースは非常に狭小ながらも、お客さんと対面する重要なスペースで、今までは立ったまま接客や伝票整理などをこなしてきたとのこと。ここでの仕事を少しでもサポートするための椅子、というわけです。一瞬@woochoiは(そして僕も)戸惑いましたが、さっそくカウンター奥のスペースと藤井さんの体の寸法を採寸。
「期待してるよ!」という藤井さんの言葉に若干のプレッシャーを感じながらも、実測で得た数字を持って早速京島校舎へ戻ります。


京島校舎では、ブロックと木の板を組み合わせた即席のドラフティングボードの上でスケッチを繰り返します。まずは通常の「椅子」のイメージを崩さなければなりませんから、頭をやわらかくしつつ、壁際で実際に「半分立ち、半分座る」という姿勢をとってみたりしながらデザインを考えていきます。条件は確かに厳しいのですがいままでに見たことのない椅子が出来るかもしれない、という期待感が徐々に高まり、様々なアイデアが浮かび@woochoiのスケッチも進んでいきます。そしておおよその方針がまとまったころ、二人の飛び入りゲストが京島校舎にふらりと現れました。北條元康さんとティトス・スプリーさんです。北條さんは地元工務店の若旦那、ティトスさんは八広に居を構えるアーティストです。最初は冷やかしのつもり(?)で立ち寄ってくれたようですが、@woochoiのスケッチや部屋に並ぶ木材や工具がお二人の心に火をつけたのでしょう、構造や施工面でのアドバイスをたくさんいただきました。


そもそもこの講座は「よそ者」である僕たちが京島の人・まちに寄与することで何かを学ぶ、という講座でしたが、そこに、さらに地元の人達(北條さん、ティトスさん)のサポートが加わり、より深みのある時間が流れはじめました。

デザインも決まったところで、いよいよ部材の切り出し。@woochoi人生初の電動ノコギリです!怪我をしないように、まっすぐに切れるように、まずはいらない木材でカットの練習。いきなり誰かのための家具を作る、という行為は「プロ」ではないからこそできる行為とも言えます。しかし逆に「プロ」ではないからこそ、道具の使い方にはより慎重にならなくてはなりません。何度かの練習でコツを掴んだ後、いよいよ本番。ゆっくり慎重にカットしていきます。最初は不安げだった@woochoiの表情も徐々に自信に満ちていき、順調に作業は進んでいきます。ほぼ全ての部材を切り出したところで、一日目の授業はタイムアップ。翌日の組立て作業に備えて解散。



【二日目:11月21日】
二日目となるこの日は、京島校舎でひたすら作業です。まずは座面をきれいに磨く作業。人の体に直接触れるパーツですから、木材のエッジを丁寧に削っていく必要があります。クライアントである藤井さんと一度きりとはいえ、直接対面し言葉を交わしたせいか@woochoiも座面の磨きにはかなりの拘りをもって臨みます。翌日の筋肉痛など恐れずにひたすらヤスリをかけていき、柔らかい曲面を持ったきれいな座面が出来上がりました。あとは前日切り出したパーツをビス留めによって組み立てていきます。@woochoi人生初の電動ドライバー。やはり最初はなかなかビスがまっすぐに入りませんが、これも練習によって克服し順調に組立作業を行っていきます。このくらいの工程になってくると、@woochoiの表情や仕草、道具使いもかなり頼もしいものになっています。そしていよいよ最後のビスを打ち込んで、完成。


一見、椅子には見えない不思議な形をした椅子が出来上がりました。あちこちから感慨深げに眺めた後、恐る恐る椅子に腰掛けてみます。強度的にも問題なさそうです。たまたま様子を見に訪れていた墨大の加藤先生にも座ってもらいお墨付きをいただきフィニッシュ。なんとも言えない充実感が京島校舎の小さな空間に満ちていく瞬間でした。
そして翌週、この出来立ての椅子を藤井さんに納品しに行きます。納品のことを考えた瞬間、先ほどまでの束の間の充実感は消え、また新たな緊張が僕たちを包みます。藤井さんがこの椅子を気に入ってくれない可能性、使ってくれない可能性は充分にあるわけですから・・・・・

【三日目:11月26日】
いよいよ納品日です。出来上がった椅子を持って藤井さんがいる数軒先の山田薬局に向かいます。
二日目に感じていた緊張感はさらに高まり続け、緊張のピークに達したところでちょうど山田薬局に到着。@woochoiが恐る恐る藤井さんに椅子の完成を伝えます。出来上がった椅子を見た藤井さんは「これが、椅子・・・?」と言いたげな不安げな表情を一瞬浮かべます・・・・そして例のカウンター奥のスペースに椅子を置き、実際に座っていただきました。
藤井さんはさっきまでの不安な表情から一転「こりゃ、いいね。」と僕たちに笑顔を向けてくれました。


@woochoiも満面の笑み。ここでようやく僕たちの緊張も解れます。藤井さんは何度も立ったり座ったりを繰り返しながら「これは世界に一つだけの椅子だね。こんな狭い場所に置ける椅子は売ってないし、助かるよ」と感想を述べてくれました。しかしこれだけでは終わりません。@woochoiは自分の連絡先を書いた紙を藤井さんに渡し「壊れたり調整が必要なときはいつでも連絡ください。」と告げます。そう、この椅子は「一生保障」付きなのです。この椅子がある限り、藤井さんと@woochoiの関係はずっと続いていくのです。最小限の都市計画は、勇気をもって人にアクセスすることから始まるのかもしれない、と感じた瞬間でした。実際見えづらいことではありますが、人と人のつながりがまちを形成する大きな要素の一つであることを墨東のまち、そして人が教えてくれたような三日間でした。
(報告:木村健世)

講義録:カンバッチワークショップ I(オープンキャンプ3)(岡部/加藤)

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※加藤が担当予定でしたが、代講となりました。岡部先生、ありがとうございました。
講義名(担当者):オープンキャンプ3:カンバッチワークショップ I(岡部/加藤)
日時:2010年11月26日(金)18:30〜21:00
場所:京島キラキラ橘通商店街/墨東大学京島校舎
アナウンスされた授業概要:
この日は、各自でまちに散って素材を集め、「墨東カンバッチ」をつくります。受講者は、各自で8(〜10)個のグループで完結するテーマを考えます(例:墨東エリアラーメンやバッチ、墨東エリア不思議看板バッチ、など)。写真やイラストを採集し、バッチにします。完成したカンバッチは、京島校舎のガチャポンで配付予定です。みんなが集めたくなる(コンプリートしたくなる)魅力的なテーマやモチーフで制作しましょう。
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17:30に京島校舎に車で到着。防寒対策のために用意したマットなどを設置し、机も設置した。京島校舎は電気がついていることが確認できて、シャッターの向こうからはウインウインと機械音。車を駐車場にとめてから職員のナカジに聞いてみると、木村さんが椅子の納品のために制作を進めているとのこと。思わず教員2名が別の授業で遭遇し、「大学っぽく」なる。


18時からは懸命に缶バッジの見本を作成。「予習」?または「自習」?してイラストを描いてくれた都市大の堀田さんの「墨東の猫」の缶バッジを 10個作った。18時半、今日の受講生4人が集合。もう「道に迷いました」という声は聞こえなかった。さっそく、加藤先生から指示された缶バッジ作成の心得を伝えて、19:45までにキラキラ橘でのフィールドワークを完了してもらうように伝える。4人はどんなシリーズ/テーマ/モチーフにするかしばし沈思黙考した上で、おもむろにまちへと散っていった。
8個で1つのテーマという課題は、かなり観点を試されるお題で、相当難しいと思う。しかもあたりはどっぷり夜。写真撮影も制限されたはず。しかし、4人のフィールドワーカーはこちらの予想をはるかに裏切る素材とともに京島校舎に戻って来た。


一番早い帰校が19時10分だったため、缶バッジ作成はじゅんぐりじゅんぐりテンポよく進んだと思われる。全員が21時頃には8個作成し、写真を撮影して帰路についた。仕上がった缶バッジの説明は、受講者各自からのメールと写真にまかせようと思う。
(文:岡部大介/写真:ナカジ)

課題:「地域メディア」としての大学(11月23日)

11月23日(祝・火)に開講された特設科目(オフキャンパス)【「地域メディア」としての大学】を受講したひとは、リンク先のページをよく読んで、レポートを提出してください。

課題レポートのページへ

2010年11月21日日曜日

速報:ミニマムアーバニズム(音量注意)

2010年11月20日(土)〜21日(日)にかけて開講された「ミニマムアーバニズム」の様子を見てきました。近いうちに、講義録がアップされるとは思いますが、まずは現場から中継(TwitCasting)された映像です。急に電気工具の音がするので、ご注意ください。

2010年11月20日土曜日

毎日が楽しいぜ!

ちょっと楽しいことがありました。twitterでの話の流れなので、遡るとしばらく前に予兆があったのかもしれませんが、おそらく、コトの発端はこのつぶやきです。
疲れたとか、辛いとか、苦しいとか。そゆのは毎日聞くけど「いま、ほんっと毎日が楽しいぜ!」って、言ってる人にはなかなか会わない。どうなの、これ。( @tokyoicchi 11月17日 10:35AM)
およそ、2分後、@hajimebs さんが、つぎのように返します。
@tokyoicchi 毎日楽しくて楽しくて仕方ない。そのうちにバランス取られるために落雷に遭うんじゃないかと思う。( @hajimebs 11月17日 10:37AM)
ぼくは、さらに3分ほど経って、宛て先もなくつぶやきました。
毎日が楽しいぜ!( @who_me 11月17日 10:40AM)
そんな他愛のないやりとりが、ちょっとばかり盛り上がって「毎日が楽しいぜ!」と思うだけで、何だかとても前向きになれる気になってきました。
ほどなく、#mainichigatanoshiize というハッシュタグが生まれ、実際に「今度、毎日が楽しくて楽しくてしょうがない皆で集まって、どう楽しいか絵に描いて報告しあうっていうめちゃめちゃポジティブな飲み会しましょう。」というつぶやきも…。(途中の経過は省略しますが)けっきょく、墨東大学の講義・実習として「毎日が楽しいぜ!」を開講する話へと展開しました。こうして、わずか数時間で、あたらしい科目が誕生したのでした。2010年12月3日(金)の夕刻、墨東大学・京島校舎にて開講です。(詳細・参加表明はこちらから → http://twtvite.com/bokudai_101203

さて、楽しい…というのは、この科目の内容だけではありません。ちょっとしたきっかけで、つぶやきがスパークし、じゃあ会いましょう、ということになる。〈リアル〉な時間と場所を約束し、それがじぶんのカレンダーに書き加えられます。スピード感はもちろんのこと、素朴にワクワクする過程です。少人数ではあるものの、連鎖反応がコトを起こす(興す)場面に立ち会うことができました。

ご存じのとおり、墨東大学は〈リアル〉な仮想大学です。実際に顔を合わせるものの、まぁ何でもアリ?(言い過ぎかも)の大学です。それは、「毎日が楽しいぜ!」という科目が開講されるだけでも、わかるでしょう…。だから、「ごっこ遊び」として考えれば、このくらいのスピード感やノリは、むしろふつうなのかもしれません。
ただ、〈大学〉をモチーフにしていることで、いろいろなことを考えさせられます。つまり、墨東大学は、この大いなる遊びのなかで、大学の本質について再考する手がかりを提供してくれるように思えるのです。ホンモノの大学(本務校)では、言うまでもなく、講義やゼミにくわえて、会議(○○委員会、△△タスクフォースなどなど)も校務もたくさんあります。時間割やカリキュラムによって、学生と教員の振るまいは高度に組織化されています。学生の意見を取り入れながら、授業を改善しようという試みもあれば、面白くてためになる(なりそうな)講義もたくさんあります。多くの自由が保証されていますが、同時に、多くの決まり事があります。

今回の「毎日が楽しいぜ!」を生み出した過程をふり返ると、じつは、そこに大学の本質が見えるような気がします。つまり、まずは「…どうなの、これ。」という素朴な問いかけがある。それは、通勤電車のなかかもしれないし、ベッドの温もりのなかかもしれない。たんなるつぶやきに過ぎない。それでも、生活(=大げさに言えば生きること)と直結した「どうなの、これ。」だという点が重要です。そして、それに対して「…皆で集まって」というダイレクトな反応がある。さらに、連鎖が続きました。「楽しいぜ!」と叫び合っているだけでは関心しませんが、お互いにその「楽しいぜ!」を共有することをつうじて、そもそもの「どうなの、これ。」に対する答えが見えてくるように思います。個別の「楽しいぜ!」をみんなで眺めることによって、何かに気づくはずです。これって、〈学〉のはじまりなのではないかと思います。それは、現場に密着した〈学〉です。

そんなに気張らずに、とにかく「楽しいぜ!」を紹介し合えばいいのだと思います。でも、あの不思議な(そしてワクワクする)過程に立ち会ったので、いろいろと考えてしまいました。余計な約束事をそぎ落とした、何でもアリ?の墨東大学であるからこそ、感じることができたように思います。
墨東大学は、誰かの「どうなの、これ。」と向き合いながら成長します。毎日が、さらに楽しくなりました。

講義録:童貞美学 I(石田)

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2010年11月20日(土)11:00〜13:00
講義名(担当者):童貞美学Ⅰ(石田)
会場:旧曳舟中学校(墨田区文花)
参加人数:11名(新入生男子2名 教員1名)
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内容:
「童貞美学Ⅰ・Ⅱ」は、さまざまなメディアや文学などに表彰される「童貞」を通じて、女性から見た場合の「童貞性」について考察することをねらいとしている。
第1回目の授業となる今回は、石田による「童貞美学」についてのオリエンテーションおよび『ユリ子のアロマ』を見る際の視点などについての解説が記載されたテキストを読んだあと、墨田区・鳩の街通り商店街エリア出身の映画監督である、吉田浩太氏による作品『ユリ子のアロマ』と『墨田区京島3丁目』を鑑賞しました。また、今後は、受講者が課題として『ユリ子のアロマ』に見られる「童貞性」のありかたを中心にエッセイ(感想)を書き、「童貞性」に関する自らの考え方をまとめる予定です。提出されたエッセイについては、後日ご報告します。



受講者は、メールで事前に「予告編」を見てから、授業に参加しました。


会場はなんと、廃校となった中学校。
学校に入るとすぐ隣に「保健室」と書かれたスペースがあったりして、ドキドキします。


廃校となった教室の1室で、30代が10代の男の子(童貞)の匂いにどうしようもなく惹かれてしまう・・・という映画を見る、という経験はなかなかできるものではありません。

2010年11月19日金曜日

講義録:みんなで昼寝をする(三宅)

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2010年11月19日(金) 11:00〜
講義名(担当者):みんなで昼寝をする(三宅)
集合場所:八広駅
参加人数:4人
内容:荒川で昼寝をするという授業です。
その昼寝のために、前日の徹夜が授業参加の必須条件にしたいと思ってます。そのためにどんなくだらない徹夜をしていたかをそれぞれで報告しあい、みんなで寝ようと思います。同じ授業参加者による徹夜は禁止にしたいと思います。(一緒に飲んでたとか。)
持ち物:昼寝セット。
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11時、八広駅に集合する。瀬谷くんと、渡部くん、中島くんがいた。
僕は、彼らの見た感じの疲れ具合と、タイムラインを見ていたのもあって、彼らが徹夜をしていたのか、そうでなかったのか、その時それぞれになんとなく判断できた。
もうひとりの参加者、大間知くんがトイレから戻ってきた。階段から下りてくる彼は、明らかに足にきている。その姿に不思議になりながらも、みんなで荒川にむかいながらどんな徹夜をしていたかを話す。


瀬谷くんは寝ずに昼寝のための枕をつくり、渡部くんは、夜景の写真を深夜まで撮ったあとは、朝までパソコンのファイル整理、中島くんは、僕は事務局ですからと(いう言い訳を添えて)ちゃんと?寝てきたようだ。そして、大間知くんは、横浜から八広まで歩いてきたそうだ。その距離は3~40kmもあり、夜に出てひたすら一晩中歩き続けたという。数回しか会ったことのない彼らではあったが、それぞれの徹夜の仕方が、見事に自身を表しているなぁと思う。
そう、そして、もう一人事前に参加を申し込んでいた渡邉くんは、「すみません。一瞬の隙をつかれて寝てしまったので欠席させていただきます。」と履修資格を徹底して遵守に参加条件に従った。

昼寝をするための口実としての徹夜。河原でみんなで昼寝を実際してもらうのだけど、そのために行う徹夜こそが実質それぞれの授業ではないかと、授業の始業であり終業のチャイムを鳴らす。みんなでなんだかんだ言いながら、横になり寝ていく。僕は、しっかり6時間寝てきたので、2、30分で起き、その場をあとにする。

サイクリングや犬の散歩で人が行き来する荒川は、芝生もあり、陽気で気持ちいい。スカイツリーを望む秋晴れの河原で、くたくたの身体から陥った昼寝から魔法のように起きた時、そこからどんな幻想が見えるのだろうか。昼寝から覚めた順に終わる授業。本当の授業の外側にある、徹夜や、河原での昼寝を同時に体験するものであった。僕は、爆睡する彼らをおいて、八広の路地に入り込み帰っていく中で、学生だからこそ、ある意味成り立った(?)ようなこの企画を、それが何だったのかであれ、昼寝が出来たことを肯定的に考えうる頭を取り戻している。だって、授業がどうかというより、僕自身が荒川で昼寝がしたかったのだからと無責任に書いてみる。


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受講生・職員フィールドノート
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瀬谷昂宏(ユニット名:3601)
徹夜が必須条件であったため、その時間を費やしひとつの作品を残そうと考えた。様々なアイデアを模索し、実行したのが枕制作である。それを使用して荒川で永眠したかったのだ。猛烈に眠い中、そして手が悴んで震える中、am0800に完成させた。気力だけで電車に乗り逝きそうになりながら八広駅へ向かう。駅前で飲んだホットティーの味は忘れない。八広に集う生徒たちと6時間睡眠を終えた三宅先生と合流し、荒川へ足を運んだ。緑がきれいで、非常に気持ちの良い場所であった。そこで寝っ転がりながら皆の徹夜を語っていく。一人一人、猛烈に素晴らしい表情をしていて、全員が記憶に残る授業になったと言えよう。深い意味を持った授業ではないと思うが、様々な徹夜の手段。人間の個性を垣間見ることができ、非常にユニークな授業であった。



大間知卓(ユニット名:3601)
感想です。誰よりも面白い事ではなく、誰よりもくだらない事をしたかった。全力で。僕は横浜から荒川まで歩いてみた。徹夜で。
東京を横断してまちの違いや人々の文化の違いを知る事ができた。なんていうのは嘘だ。ただ真夜中の銀座をゾンビの様に歩いたのは本当だ。
荒川に着いた瞬間、授業開始のベルでなく、終了のベルがなった。人生の中で最短かつ最長の授業だった。
他の人に理解されなくても、僕が過ごした夜は変わらないし、記憶も無くならない。そう、荒川が三途の川に見えた事もね。
あまりにも衝撃的な授業だったので変な感想?になってしまいました。すみません、書いていて悩んだのですが、もしかしたら変な徹夜の自慢になってるかもしれないです。何かありましたらまた書き直します。宜しくお願いします。

中島和成(墨大職員)
この日は記録として写真を撮るのだからと勝手な判断をし、徹夜せず数時間寝てしまった…。
集合時刻に八広駅に着くと、徹夜明けで寝ていない学生たちがそこにいた。見るからに、自分と表情もテンションも違っていた。会った瞬間に徹夜していないとバレてしまい、どうにかして隠そうと必死になってる自分がいた。表情がイイとはこのことを言うのかもしれない。体調がすぐれているとか、睡眠を十分にとったからとかではなく、一つのコトをやりきったトキの達成感で生まれる表現なのだと…。だから自分に恥じて、必死に隠そうとしていたのかもしれない。
挽回をしようと荒川の河川敷に着いてからは、記録に徹した。講師の三宅航太郎さんからの話も終わり、昼寝をすることになった。ここからがこそ自分の出番だと思い、みんなの寝顔を撮影しようをシャッターを切った。しかし徹夜明けで昼寝をする人にとってシャッター音はうるさかったのか、注意されてしまった…。電車が走る音よりは小さいはずなのに……と思い、僕はカメラを置いて眠りについた。

2010年11月18日木曜日

平成22年度学生/教員募集(チラシ)


すでに動きはじめてはいるのですが、11月10日に京島校舎がオープンし、これから来年3月まで、いよいよ本番です。何よりも、墨東エリアのかたがたへのご挨拶回りからはじめなければならないので、チラシ(入学案内)をつくりました。もうまもなく、刷り上がる予定です。
来週あたりから配りはじめられると思いますが、京島校舎(昨年度の“ロビー” キラキラ橘商店街・交番のすぐそば)が開いているときには、そちらで資料等(それほどないけど)お渡しすることもできます。

それから、墨東大学では学生だけではなく、教員も募集中です。つまり、墨東エリアの題材・素材(ネタ)をお持ちのかたは、bokuto.univ [at] gmail.com までご一報ください。

2010年11月10日水曜日

講義録:迷子学入門Ⅰ(木村)

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2010年11月10日(水)15:00〜18:00
講義名(担当者):迷子学入門Ⅰ(木村)
集合場所:墨田区京島三丁目 原公園
迷い場所:墨田区京島広域
発表場所:墨東大学京島校舎
参加人数:11名(新入生女子1名 新入生男子3名 教員2名)
内容:日常では経験する機会が減ってきた「迷う・彷徨う」という行為を通して「いつもと少しちがう自分」を経験・発見できるかも、という実験(のようなもの)を行います。
複雑に入り組んだ路地空間、にぎわう商店街。参加者は「迷いがいのあるまち京島」を、サイコロを使いながら一人で1時間彷徨います。その後それぞれがまちを彷徨った過程で見たもの、起こった出来事などを墨大京島校舎にてマップに書き込みながら、各々の彷徨い歩きを発表、そして語らいを行います。
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15時、京島3丁目にある原公園に集合。あたりはすでに日がかげりはじめています。夕闇に包まれた彷徨いになりそう。
全員集合後、簡単な自己紹介、サイコロを使った迷い方の説明を行います。使うサイコロは二つ。一つ目のサイコロには直進」「右折」「左折」などを示す矢印が書いてあり、この矢印に従って歩くことになります。(曲がり角がある度にこのサイコロを振ります)もう一つのサイコロ。これは1から6までの目が示してあるごく普通のサイコロ。出た数字によって様々なミッションが与えられます。(これは5分ごとに振ることにしました)
このミッションは参加者全員で話し合って決めてみました。
以下、六つのミッション

1. その場所に名前をつける
2. そのときの心境、状況を五七五でツイートする
3. その場所からスカイツリーを撮影する
4. そのにあるものを拾う
5. そこにいた証をのこす
6. そこにあるなんらかの痕跡から勝手に物語を妄想する

以上のミッションを決めて、彷徨いスタート。ここから先はたった一人で知らないまちを彷徨う、という孤独な道のりです。そうこうしているうちに辺りも暗くなってきました。


みんなが彷徨っているあいだ、僕はオープンしたての墨東大学・京島校舎で「語らい」のためのセッティング作業。
何もないガランとした空間の壁面に、A0サイズの京島の地図を貼り付けます。ここにみんなの迷いの軌跡が落としこまれるわけです。セッティング終了後、僕もまちに出てみます。彷徨い中の墨大生に結構遭遇するかなと思いきや、なかなか出会うことが出来ません。みんな墨東の路地に吸い込まれて消えてしまったのでは(あるいは疲れて家に帰ってしまったとか)と一瞬不安に。しかしそれもそのはず、かつては世界一の人口密度を誇った京島エリアは路地の数も半端ではなく、偶然にまかせて彷徨う彼ら彼女らには「路地裏でばったり」というわけにはいきませんでした。
そして一時間後の集合時間。みんな続々と帰還してきます。駄菓子を食べながら、たこ焼き片手に、拾ったものを大事に握り締めながら。ところが集合時間になっても戻ってこない人も何名か。Bocktの岡部先生もその一人でした。
twitterのTLをみると「ガチで迷いました・・・」という岡部先生のツイートが。この迷子学入門は「迷子」と謳いつつも地図を持ちながらだったり、サイコロに方向を指示されたりで、本当の意味では「迷子」とは言えないわけです。迷子になる練習(?)のようなものです。なので岡部先生のリアルな迷子は気の毒ではありましたが、少し有難く嬉しい事件でした。


そして、全員集合。京島校舎に貼ってある地図にそれぞれの迷いの軌跡をペンで書き込み、その上に与えられたミッションへの回答を書いた付箋を貼り付けていきます。見る見るうちに地図が付箋で埋め尽くされ、一枚のモザイク画のようになってしまいました。これは単純に地図のサイズや付箋のサイズの設定ミスなのですが、たった一時間の間に、たった11人の行為がまちにたくさん積み重なった状態をダイナミックに示してくれているようで、思わぬ驚きを与えてくれました。一時間、11人でこの状態ですから、実際まちに住んでいる人達の行為や記憶はどれだけ大きなボリュームになるのか、想像もつきません。
地図への落とし込みが終わった段階で、それぞれが迷いのレポートを発表していきます。拾ってきた得体の知れないモノについてみんなであれこれ推理したり、場所の特性を読み取った上で不思議な名前をつけられた場所について想像を巡らせたりと、京島校舎での興味深い語らいは続いていきます。与えられたミッション以外にも、自ら子供に話しかけてみてスルーされたり、押上(!)でスカイツリーを撮影しているコミュニティーに混じりこんでみたり、和菓子屋さんにまちの歴史についてインタビューしてみたり・・・・・また逆に、まちのひとに「何やってるの?大変そうだねえ」と話しかけてもらったり。偶然の移動に身を任せつつも、それぞれの積極性をもってまちの断面を覗き込んだ様子が垣間見えて、ものすごくワクワクする時間になりました。


結果として、彷徨いを通じて11人の墨大生がまちにアクセスしたり、まちからアクセスされたり、と大変アクティブ(サイコロに指示されるといことはパッシブではあるけれど)な時間になったと感じました。彼ら・彼女らは「いつもと違う自分」になれたのか?この疑問については残念ながらタイムアップにより詳しく聞くことは出来ず。今度、ゆっくり聞かせてください。寒い中、皆さんおつかれさまでした。ありがとうございました。
(報告:木村健世)

2010年11月6日土曜日

中島くんが、ナカジになるまち

中島くん、いやナカジ、いきなり名前を出してごめんなさい。でも、もうみんな知っているから許してください。先日、bockt(リサーチユニット)のメンバーである岡部さん、木村さんと墨東大学についていろいろ話していたときのこと。とても大切な話題だったので、少し整理しておきたいと思います。冒頭の中島くんは、「墨東まち見世2010」の事務局メンバーとして、そして墨大のスタッフとしても活躍中です。

アートイベントにかぎらず、初めての場所で、見知らぬ人と出会い、そこで関係性を築いていくのは容易ではありません。どれだけ細心の注意をはらっても、人びとの日常生活に「おじゃま」することになるからです。もちろん、アートという活動(そして作品)をつうじて、まちに関わる試みには意味・意義があると思います。でも、その基本にあるのがコミュニケーションであるという点を忘れてはならないのです。
「よそ者」という立場でまちに入り、その中で成員性(メンバーシップ)を獲得していくという過程は、まさしくフィールドワークの基本です。『キャンプ論』のなかでも、そういう説明をしている箇所があります(下図は第5章より)。つまり、まずは「お客さん」としてまちを歩く。やがて「顔なじみ」になり、ラッキーなら「仲間(新参者)」になれる。おそらくは、アートでも、フィールド調査でも、人やまちを対象に活動するのであれば、この道筋はきちんと理解しておく必要があります。それも、アタマだけで理解するのではなく、身体で。
予期せぬ場面でお叱りを受けることは茶飯事。もちろん、暖かく迎え入れられる場面も。とにかく、まちも人も複雑な日常のなかで成り立っているので、そう簡単にはわからない。そういうつもりで、まちを歩き、たくさん刺激を受けることが大切です。


さて「よそ者」は、関係性を築いていくなかで、じぶんの立ち位置をどうやって確認することができるのか。ひとつのわかりやすいサインは「呼び名」です。当然、名前を覚えてもらう/覚えるということ(=つまり、顔と名前が一致すること)は必須なのですが、あるタイミングで「呼び名」が変わることがあります。「呼び名」は、〈関係性の現われ〉です。ぼくたちが誰かに声をかける/声をかけられるという場面では、何か用件があって呼ぶという側面はもちろんのこと、その「呼び方」は、関係性の表明でもあります。

岡部さんの話によると、どうやら〈中島くん〉は〈ナカジ〉になったようです。ぼくも、それにつられて、自然と〈ナカジ〉と呼ぶようになりました。〈中島くん〉にとって、〈ナカジ〉になったことは、きっと嬉しいハプニングだったと想像できます。それは、気まぐれで皆さんがそう呼ぶようになったのではなく、〈中島くん〉が何度も足をはこび、事務局の仕事に真面目に向き合っていた結果なのだと思います。逆に、〈ナカジ〉になったということは、責任を負うことにもなります。ヘタはできなくなります。いずれにせよ、ちょっとした「呼び名」を見るだけで、ぼくたちの関係性を推し量ることはできるように思います。

さて、ここで興味ぶかいのは、〈中島くん〉はどこに行っても、〈ナカジ〉になれるかどうか…という問題です。個人のキャラクターはもちろん、能力や姿勢は問われます。でも、もういっぽうで、まち自体が〈中島くん〉を〈ナカジ〉にしたという側面もあるので、おそらく〈ナカジ〉になれない/なりにくいまちがあってもおかしくはありません。半年で〈ナカジ〉になれるまちと、何年経っても〈中島くん〉のままのまちもあるはずです。
そう考えると、「数か月(じつはそれ以上の時間?)で〈中島くん〉が〈ナカジ〉になれるまち」というのは、まち自体の価値を示す指標になるのかもしれません。厳しい目を持ち、そして同時に優しい。ひとたび受け入れたら、絶大なる信頼と期待でお互いを呼び合う。ナカジが、いわばもの差しになるのです。たとえば、(実現可能かどうかはわかりませんが)ナカジをいろいろなまちに送って、どのくらいの時間で〈ナカジ〉になれるかを確かめれば、それでまちや地域コミュニティのもつ潜在的な「力(capacity)」についての理解や評価ができるのではないか…。そんなことを考えさせられました。

じつは、墨東大学のプロジェクトも、〈大学〉という仕組みや語り口を活用しながら、まちや地域コミュニティを理解することを目指しています。縁あって、墨東エリアでスタートしていますが、可能であれば、いろいろなまちで〈○○大学〉を試してみたときに、まちの理解に役立つのではないかと考えたのです。

たとえば、下記のようなリストをつくることができます。チェックリストのようなものですが、それは、観察者の目線でまちや人に触れながら、逐次書き加えていくリストです。時間は短くても、直感的でも、ぼくたちの「よそ者」なりの感じ方で、まずはこのリストをつくってみることからはじめたいと思います。それは、墨東大学というプロジェクトのひとつの成果になります。

・(まるでアメリカ旅行に行ったときみたいに)すれ違いざまに知らないひとに「こんにちは/こんばんは(アメリカだと、Hi!)」と声をかけられるまち
・iPhoneの充電をしたいとき立ち寄れるカフェ(珈琲店)があるまち
・お総菜がキラキラしているまち
・お総菜を買うと暖めてくれるまち
・お総菜を買うと食べやすいように切り分けてお箸をくれるまち
・ベンチがあってしばし休憩できるまち
・ちいさな飲み屋に常連が集うまち
・ちいさな飲み屋で酔った客どうしがちょっとした怒鳴り合いをするまち
・ちいさな飲み屋のちょっとしたいざこざを仲裁するひとがいるまち

もちろん、ちょっと窮屈に感じたり、?と思ったりすることも出てくると思います。いずれにせよ、墨東に出かけたときには五感を開放して、リストのアイテムを増やすことを考えてみましょう。〈中島くん〉は〈ナカジ〉になりましたが、墨東大学はまだまだです。〈中島くん〉のレベルにも達していません。いろいろ、課題があることは承知の上で、すすめていきたいと思います。まずは〈墨東大学〉の存在を知ってもらうことからです。

2010年11月4日木曜日

講義録:オープンキャンプ2(加藤)

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2010年11月4日(木)18:00〜21:00
講義名(担当者):オープンキャンプ2 墨大PVプロジェクト(加藤)
集合場所:曳舟駅
内容(講義概要より):オープンキャンプは、文字どおりオープンな気持ちで考えている講義・実習です。だから、何をやるか、なかなか決まりません。オープンで寛容な気持ちで参加してください。
と言いつつ、何をやるか思いつきました。11月4日の「オープンキャンプ2」では、わが墨東大学のプロモーションビデオを制作します。撮影から編集まで、YouTubeにアップが完了するまで帰れません。しかも夜なので、どうしましょう…。といろいろ考えながら、作業します。定員6名(くらい)。
参加人数:4人(新入生女子1名, 新入生男子1名, 教職員2名)
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まずは、めでたく完成した墨東大学のPVをご覧ください。



18:00に曳舟駅に集合してスタート。参加者は学生(新入生)2名に教員2名(加藤をふくむ)という、なんとマンツーマン体制。墨東大学はすばらしいです。いよいよ本格的に動きはじめようという墨東大学、課題はプロモーションなのです。まだまだ「内輪」の感じが強すぎるので(最初はしかたないと思いますが)、「墨東大学」ということばが、少しでも多くまちに飛び交うように、プロモーションビデオをつくることにしました。
これまで、「キャンプ」と称して、〈その場で考えてその場でつくる〉というやり方が、面白くもあり、かついろいろな意味で重要だと考えて活動してきたので、この日も撮影から編集、公開(YouTubeへ)まで、墨東で完結させることが課題です。墨東大学は、原則として「宿題」はナシです。だから、家に帰ってから編集する…などということはしないのです。
今回は、なんと全員iPhone(3GS)ユーザーだったので(この所有率の高さもヘンですが)、すべての作業をiPhoneですすめることにしました。いずれは、ケータイひとつでいろいろなことができるだろう…と思っていたので、それを試す意味でもいいチャンスです。

まずは「キラキラ橘商店街」まで歩き、ぶらぶら。できるだけ自然なかたちで撮影しようと考えつつ、新入生のふたりは、いま大学生なので、そのままふたりのやりとりを撮っておけば、PVの素材に使えるはずです。ぼくと木村さんで、適当にiPhoneで動画を撮影しながら、歩きました。途中、某テレビ局の撮影に出くわしましたが、スタッフの数も機材の大きさも、大変なものです。ぼくたちの場合は、大学生がふたり歩き、その前後でちょっと怪しいオジサンたちがiPhoneで動画を撮っているという図柄で、じつに軽やかです。

そして、いい瞬間が訪れました。
ふたりがロールキャベツに惹かれ、動物的に反応していると、ちゃんとキラキラな対応がありました。暖めてくれるし、食べやすいように切ってくれるし、お箸もポテサラ(註:ポテトサラダ)もあるし。それで、ちょっと歩くとベンチもあるし。
そこで二人が話をはじめたところで、超アドリブ、超無茶ブリで、木村さんの背中を押しました。幸い、ロールキャベツに夢中だったふたりも上手く語ってくれました。「どこの大学ですか?」との問いに「墨東大学です」と答えてくれなかったら、当然カット!撮り直しでしたが、幸い、うまく行きました。

それで撮影終了。すべて、テイクワン、です。(っていうか、撮り直しはしない/したくない…ので。)それで、少し夜風で冷えてきたので、木村さんに教えてもらって「東北」という店に入りました。この店で感じたことは、また別の記事で書きますが、4人で卓を囲んで水餃子を食べながらビデオ編集です。


iPhone4だとiMovieのアプリが使えるみたいですが、今回は3GSで動くReelDirectorというアプリ(450円)を使いました。前にダウンロードして、ちょっとだけ触った程度でしたが、まぁそれなりのことはできます。問題はイヤホンがなかったので、(おまけに店は満席で盛り上がっていて)音声を確認しづらかったということ。あとは寄る年波の老眼で、あのちいさな画面でビデオ編集はつらいということ。まぁ編集と呼ぶほどのことはしないのですが、素材を何本かつないだり、タイトルを入れたりして完成。その場でYouTubeにアップしました。ちょっと送信に手間どりましたが、無事にアップロードされたことを確認して解散となりました。

皆さん、お疲れさまでした。

2010年10月29日金曜日

講義録:大人の学び論 I(長岡健)

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2010年10月29日(金) 18:30〜20:00
講義名(担当者):大人の学び論Ⅰ(長岡健)
集合場所:東向島珈琲店
参加人数:4人
内容:ここ数年、社会人になった後も積極的に「自分磨き」に取り組む人が増えているようです。いわゆる「朝活」や、大人のための読書会の話もしばしば耳にします。そして、墨東大学もまた、大人のための「学び場」だと言えるでしょう。ただ、ここでの学びは、私たちが長い時間をすごしてきた「学校」での学びとは違う側面があるはずです。ここで改めて「大人の学び」とは何かについて考えてみたいと思います。
以上のようなテーマについて、本講座では、「教員/受講者」の関係を逆転させた授業運営をしてみたいと思います。通常の授業では、「何を学ぶべきか」を教員が決めます。そして、その学習目標に相応しいと判断した講義内容を教員が予め用意し、その内容のみが話されます。このような関係性の中では、受講者は「聴きたいことではない話し」であったとしても、それを受け入れることが求められます。では、教員が講義内容を事前に決めず、受講者が「聴きたいこと」をその場で教員に伝え、教員ができるかぎりその希望に沿った話しをするという講義(?)を行ったとき、どのような「学びの場」が出現してくるのでしょうか。
墨東大学における「大人の学び論Ⅰ」では、「子供の学び」と「大人の学び」の違い、「仕事の中での学び」の特徴といった、「大人の学び」に関する様々なトピックの中から、受講者が「聴きたいこと」をその場で選んでもらい、担当教員が出来る限りそれに応えていく、という授業運営を行います。そして、通常とは異なるこのような授業の経験をもとに、墨東大学での「学び」の意味を参加者全員で探ってみたいと思います。
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講義シラバスにも書きましたが、今回の「大人の学び論Ⅰ」では、教員があらかじめ話す内容を決めているのではなく、受講者がその場で聴きたいトピックを出し、それに教員が応えるという即興形式で進めることにしました。
ただ、このアイディアを考えついた瞬間は「どんな話しを求められるのか、ドキドキするなあ」などど、一人で盛り上がっていたものの、実際にシラバスをアップした後は、「そんなことできるかな?」と少し不安な気持ちにもなっていました。というのも、そのとき頭の中にあったのは、多くの受講者が一斉に手を上げて、私に様々なトピックを投げ掛けてくるといったイメージ(妄想?)だったからです。

さすがに、マイケル・サンデルの授業を意識していた訳ではありませんが、「教員たるもの、即興的なやりとりでうまくその場を運営していかなければならない」という意識が、私の心の中にあったことは事実です。今思えば、私の中にある、いわゆる「大学の授業」や「大学の教員」に対する凝り固まったイメージを反映していたのでしょう。


でも、実際に募集が始まると、私のイメージがどうやら違っていたことに気づきました。開講日の数日前になっても、エントリーしているのは私一人で、「もし一人もエントリーがなかったら、その場で道行く人に声を掛けて、講義を聴いてもらわないといけないかな」などと考えるようにもなっていました。最終的には、三名の方からエントリーがあり、当初の私のイメージ(妄想?)とは違ってはいましたが、今までにない不思議な体験をすることになりました。
私が東向島珈琲店に到着したとき、すでにいらしていた二名の方々とは全くの初対面でした。お互いに「大人の学び論Ⅰ」の参加であることを恐る恐る確かめ、テーブルにつきましたが、何とも微妙な雰囲気です。通常の公開セミナーであれば、講師と聴衆が初対面なのはアタリマエで、そんなことは気にせず「みなさん、こんばんは!」と講義を始めてしまいます。でも、見知らぬ三人がひとつのテーブルを囲んでいると、相手の反応が気になってしまい、通常の公開セミナーのように、私が一方的に「明るく、元気に」を演じることができません。

本当は、「大人の学び」というテーマに関心をもつ三人がカフェに集い、自由でリラックスした雰囲気の中で、楽しく対話を交わす、とシンプルに考えればよかったのでしょう。でも、そのときの私の中には、まだ「教員たるもの、しっかりと仕切れ!」というヘンな意識があったようです。「即興のやりとりを演出し、進行をコントロールしよう」という意識があったのかもしれません。そんな思いが私の頭の中をぐるぐると巡っていることに、私以外の参加者が気づいていたかどうかは不明ですが・・・。
その後、「大人の学び」についての話しをはじめると、そんな意識はどこかに行ってしまい、受講者の方々からリクエストのあった「学びのサードプレイス」、「個人にとっての学びと組織の評価の関係」、といったトピックについて楽しく対話をすることができました。そして、「即興のやりとりを演出し、進行をコントロールしよう」といった教員としての歪んだ自意識は、私の中からいつの間にか消えていったようでした。


何となくぎこちない雰囲気から始まり、徐々に「大人の学び」についての対話に引き込まれていくという体験、これが私にとっての「大人の学び論Ⅰ」についての記憶です。従来の大学のあり方を見つめ直すと言っておきながら、「教員たるもの・・・」という意識に縛られていた自分の姿勢を改めて問い直しつつ、今回の体験についてもうしばらく考えてみたいと思います。
(文・長岡健)

2010年10月28日木曜日

講義録:ちいさな編綴実習 第1回(香川)

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2010年10月28日(木)18:00~20:00
講義名(担当者):ちいさな編綴実習第1回(香川)
集合場所:東向島珈琲店
内容:
この講座では「書いて綴じる」つまり、「(ひとりもしくは少人数で)本をつくる」ことを見直し、実験します。
第1回は、本のたたずまいについて考えてみました。少人数でつくるリトルプレスはページが少ないことが多く、本棚に並べたり、タイトルや著者の名前といった「言葉だけの情報」で検索して選んでもらうような性格のものでは(いまのところ)ありません。共感してもらう、わくわくしてもらう、その本と一緒に過ごす時間がちょっとだけ豊かになってもらう…などを想像しながら制作し、届けかた、置く場所を考え、制作をはじめます。
また、第1回の参加者には「誰かに見せるためのノート」という課題が託されました。イギリスの美術大学で、実習で使ったスケッチブックをそのまま提出するという課題をまねて、だれかが読むかもしれない「ちいさな本」としてのノートをとる、ということに挑戦してもらいます。
参加人数:5人(新入生男子1名、教職員1名)
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「ちいさな編綴実習」第1回目。折りたたみ傘がひっくり返ったり水たまりに足を取られたりと、相当の荒れ模様のなか、東向島珈琲店にあつまった5人で、静かに開講しました。
いま、誰でも情報の編集ができることがいろいろなところで強調されています。でも「本」をつくるとなると少しハードルが高い気がしてしまいます。この実習では、そのハードルを少しでも低くしたい。もしかしたら表現しなくても済むかもしれないものを、ちょっとだけ大事に心を込めて「もの」としての小さな本にしてみる。そのものができたときにどんなことが起きるのか…というところまで、参加者と一緒に実験していけたらと思っています。
この実習の名前について最初に一言。本を作る、ということだけであれば「編集」でも十分なのですが、多くの人がかかわり、分業のしくみの中でつくられているいわゆる世の中の「本」というものへの尊敬や、憧れからちょっとだけ自由になって、じぶんひとりで最初から最後までものをつくり、世に送り出すことを「編綴」という古い言葉に託しました。毎回の参加者がすくなくとも1冊のちいさな本に参加できるように構成し、また、自分のちいさな一冊を編綴できるようなバーチャルな大学の、アトリエネットワークになればと思って立ち上げました。また、講師を中心に、参加者のトライアル全3回(+α)の記録が『ちいさな編綴(仮)』という一冊のちいさなガイドブックに仕立てる予定です。


第1回の参加者に託された課題は、「誰かに見せるためのノート」でした。イギリスの美術大学で、実習で使ったスケッチブックをそのまま課題として提出するという課題があったことを受けて、第1回から参加した人には、本未満の小冊子としてのノートをとる、ということに挑戦してもらいます。
5名で開催された実習第1回の多くの時間は、文具王の和田哲哉さんが提案している「ノートの三要素」を手がかりに、本のたたずまいについて考えてみました。もともとは、ノートの機能として紹介されている内容ですが、ちいさな本のかたちをまずざっくりとイメージするには、まずものとしての「かたち」をイメージしてみる…というのはどうでしょう、というお話をしました。ちなみに、その三要素と、それをちいたな本にあてはめたときにどんなことを指すか…ということは以下の通り。
  1. サイズ (1) 大きさ(面積) (2) 厚み(ページ数) (3) かたち(A5、正方形など)
  2. 紙 (1) 色 (2) 柄 (3) 素材 …など
  3. 綴じ (1) 無線綴じ (2) 有線綴じ (3) リング (4) その他(自由)

ここで大切なのは、少人数でつくるリトルプレスはページが少ないことが多く、本棚に並べてタイトルや著者の名前といった「言葉だけの情報」で選んでもらうような性格のものでは(いまのところ)ないため「背」がありません。そのために、手に取った人に「読ませる」とうよりも、その本に共感してもらう、わくわくしてもらう、その本と一緒に過ごす時間がちょっとだけ豊かになるような「かたち」が、中身と同じくらい大切になってくると思います。「たたずまい」から存在するものをつくったり、届けかた、置く場所を考えることで、その本と出会いたい人にちゃんと「見つけてもらう」…そういうものを作りたいという願いを持てる自分の企画を、2回目の実習では考えていきます。
(香川文)

2010年10月22日金曜日

講義録:キャンプ論(加藤)

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2010年10月22日(金)18:30〜20:00
講義名(担当者):キャンプ論(加藤)
集合場所:東向島珈琲店
内容(講義概要より):「墨東大学」は、私たちの日常生活や人間関係を“大学(大学生活)”に見立てて、地域を考える試みである。墨大生たちの活動の舞台となる「キャンパス」とは何かについて考えるとき、「カンプス(広場・平らな場所)」というおなじ語源から派生した「キャンプ」について知ることも重要だ。「キャンプ」は、(1) 人びとが集いのびのびと語り合う、(2) 現地で調達する、(3) かぎられた滞在時間を満喫する、といった側面が際立つ〈学びの場〉である。「キャンプ論」では、講義とディスカッションをつうじて、墨大生であることの意識を高め、移動型・仮設型学習のあり方について考えてみたい。
参加人数:4人(在学生男子1名, 新入生女子1名, 教員2名)
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さて、いよいよ墨東大学も本格的にスタートです。この日は、東向島珈琲店で「キャンプ論」が開講されました。出席者は、講義担当者をふくめて4名。とてもちいさな集まりでした。


講義題目は「キャンプ論」でしたが、「墨東大学」というプロジェクトの基本的な考え方について考えるという内容です。実際には、「こういう主旨だ」という断定的な表現ではなく、「こんな感じで考えているんだけど…」というように、アイデアを共有し、その場で整理していくようなやり方です。以下、実際に話した順番どおりではありませんが、「墨東大学」について整理してみました。

1. 問題解決から関係変革へ
まず、地域コミュニティとの連携方法を再考してみようという想い。たとえば、大学と地域が委託調査・共同研究という形式で結ばれるケースは少なくありません。地域コミュニティは、大学に対してある種の専門性や技術等に期待し、そのためのコストを研究費という形で補助します。これは“needs-driven”とも呼ぶべき方向性で、地域コミュニティを過度に“クライアント化”する可能性があります。
いっぽう、ここ5年ほどの「キャンプ」の試みからも、より互恵的な関係性にもとづく実践も可能だという想いは強くなっています。地域「資産(assets)」の価値を高めようと試みるとき、大学と地域コミュニティの双方が、自律的・互恵的に結びつくことができるはずです。たとえば教員・スタッフの職能が墨東大学で提供される際には、ボランタリーな「プロボノ」的な位置づけで実現されることが望ましいでしょう(実際、すでにそうなっていますが)。つまり、〈大学〉というメタファーで構成される「墨東大学」における主たる活動はコミュニケーションなのです。それは、地域における社会関係のあり方を再認識する機会だと言えるかもしれません。

2. 学ぶ欲求から教える機会へ
地域の「強み」を可視化する試みとして、〈大学〉という仕組みを考えるとき、まず重要なのは学生(受講生)の確保です。オープンな講座や実習を計画しても、肝心の受講生が集まらなければ意味がないからです。まずは、魅力ある内容で、人びとを迎え入れることが求められます。
じつは、重要なのは、人びとの学ぶ欲求を満たすことばかりではないでしょう。地域に暮らす人びとの属性や能力を熟知し、人びとの教えたい欲求の充足にも目を向ける必要があることに気づきます。ぼくたちのコミュニケーション欲求を満たし、あらたな紐帯を生み出す場として「墨東大学」という場づくりを考えるのであれば、まさにさまざまな問題意識を共有することこそが活動の中心となります。講師から話を聞くだけではなく、(どのようなトピックであっても)じぶんが「語り手」になることに価値が見出されるでしょう。突然、「講師」や「教授」という役割を期待されることに戸惑いはあるかもしれませんが、このプロジェクトをつうじて考える〈大学〉は、共に学ぶ環境として考えてみたいのです。

3. 不特定多数から特定少数へ
地域に根ざし、〈教える=教わる〉という関係性が流動的に変化するような場合には、臨機応変に学習内容・日程の調整が実現することが望ましいと考えられます。墨東大学では、教える側と教わる側がお互いに時間を供出し、コミュニケーションの機会をつくります。講義の内容についても、可能な範囲で即興的な調整や改訂がおこなわれる仕組みが実現できればと思います。墨東大学の講義はアドホックに構成され、受講者のリストさえもが逐次書き換えられているので、〈その時・その場〉のリクエストや関心事(リアルタイム性の高いトピック)に応じて、講義内容やすすめかたが決まるのが自然だと言えるかもしれません。そう、墨東大学の「カリキュラム」のコンセプトは“流し”のようなものです。「あ、きょうは集まり悪いなぁ」「じゃあ、きょうはあの話をお願いします…」

というわけで、お茶を飲みながら、少人数で語るという、理想的な「教室」となりました。リラックスした雰囲気のなかでマジメに話ができるという、贅沢な場だったと思います。この日に話した内容については、もう少し整理してみるつもりです。皆さん、ありがとうございました。

2010年10月21日木曜日

墨東大学について

「墨東大学(ぼくとうだいがく)」は、まちや地域について考えるための仕組みとして、2010年10月に実験的にオープンしました。学校教育法上で定められた正規の大学ではありませんが、「大学」という名前を冠しているとおり、いくつもの講座や実習が提供されます。まちづくりや地域活性をはじめ、さまざまなテーマを介して人と人が出会い、語り合う場所をつくる試みです。今年度いっぱいの期間限定の試みではありますが、できるかぎり単発でその場かぎりのイベントにならないよう、墨東エリアに何度か足をはこぶ(はこばざるをえない)仕組みをデザインしたいと考えています。また、墨東エリアをたんなるイベントのための「会場」として位置づけるのではなく、何らかのかたちで人びととの接点を持ち、(墨東大学というプロジェクトの)成果をまちに還すことも強く意識しています。

まちとの関わりを考える際、「大学」という設えや語り口が役に立つことに気づきました。たとえば入学すると発行される学生証は、「墨東大学」の一員としての意識を高めるだけではなく、ある種のスタンプカードのような機能をもった存在になります。何度か足をはこび、じぶんの学習の進捗を確かめるためのツールになるのです。学生証は、墨東に暮らす人びととの会話のきっかけにもなります。また、「墨東大学」の卒業要件として、全員に卒業制作を課すことによって、最終段階には何らかのかたちで、活動内容を報告する機会も生まれます。

「墨東大学」というプロジェクトは、おもに以下のような考え方にもとづいて、企画・運営されています。

(1) コミュニケーションの力を信じる
まず、私たちは、コミュニケーションの〈きっかけ〉づくりについて考えてみたいと思います。「大学」を模して、出会いの場面や日常のやりとりの仕組みを考えることで、あらためてまちのこと、暮らす人びとのことがわかってくるはずです。「墨東大学」をつうじて提供される講座や実習の内容自体は、もちろん興味ぶかいものばかりです。しかしながら、それぞれの講座がどのような場所で、どのように開講されるか/されたか…という実現に向けての過程に着目することで、「墨東エリア」の特質について、あらたな発見や気づきがあると考えています。

(2) 教えたいという欲求を満たす
「墨東大学」では、さまざまな講座や実習が企画されていますが、誰もが講座を提案し、開講することができます。私たちは、学びたい欲求ばかりでなく、同時に誰かに語りたい、何かを共有したいという想いもあるはずです。近年のネットワーク環境の変化は、誰かとシェアする気持ちを増幅し、また実現する機会を広げているように見えます。つまり、じぶんが日頃考えていること、取り組んでいることを持ち寄り、共有するための場が「墨東大学」なのです。その意味で、学校や教室ということばから連想しがちな、〈教員=学生〉という固定的な関係性は「墨東大学」では想定されていません。

(3) 特定少数の価値
「墨東大学」の講座は、さまざまな意味で自由に、柔軟にデザインされています。決められた校舎や教室はないので、インフォーマルな集いになることが多いのが特徴です。また、基本は少人数です。誰もがのびやかな発想で講座や実習を提案できるので、予期せぬかたちで、時には突然に科目が成り立つこともあります。いずれにせよ、「墨東大学」での活動をつうじて、私たちは、あらためてコミュニケーションや場づくりついて考えることになります。不特定多数の学生たちを想定した、マスプロ的な教育とは対極的な位置にある、いわば「私塾」のようなものです。

「墨東大学」プロジェクトは、「大学」というメタファーを介して地域に接近することによって、地域における人間関係のあり方やコミュニティへの帰属感、多様性・異文化の理解等の可視化を試みるものです。「墨東大学」運営の実践過程を分析・考察し、地域コミュニティのもつホスピタリティや関係変革への志向などを理解するきっかけになることが期待されています。くわしい経過等は、随時、このブログや墨東大学のオフィシャルウェブでお知らせするつもりです。

・墨東大学オフィシャルウェブ http://bokudai.net/
・墨大ブログ(bokudiary) http://bokuto-univ.blogspot.com/

2010年10月20日水曜日

墨東大学・誕生秘話(どうでもいい話)

「墨東大学(ぼくとうだいがく)」が生まれたのは、2010年6月17日(木)のことです。渋谷の某店での集まりが、スタートでした。そこで、岡部大介、加藤文俊、木村健世(50音順)の3人がユニットを組んで、この企画に取り組むことになったのです。(写真:ミーティングでつかったノート)


いろいろあって、具体化するまでにはしばらく時間がかかっているのですが、その後8月23日(月)に「bockt」というユニット名が正式に決定しました。最初は、「墨東」からはじめて「ボクと…」のようなニュアンスで発想し、「bokuto」よりはGackt(いまはGACKTになったらしい)っぽく「bockt」にしようという軽いノリでした。いずれ、BOCKTに名称を変更するかもしれません。

しかし、その後、加藤がいきなり閃いてこじつけ、岡部、木村宛てにメールを送ります。
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8月23日(月)19:36

加藤です。
bocktという名称、ムリヤリこじつけました。
beyond organization, community, and knowledge transfer
略して bockt!! (いや、ほんとうに適当です)
つまり、「組織」「コミュニティ」「知識伝達」といった諸々を問い直し、それを乗り越えていくための仕組みとしての「大学」を考える。それを、「僕(たち)と」考えましょう…ということです。
bocktの事業の第1弾が「墨東大学」で、その後、全国各地で「○○大学」を試みる、という感じでしょうか。なんか大風呂敷ですね…。
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そのわずか40分後、木村が歓喜のメールを送ります。
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8月23日(月)20:14

こんばんは、木村です。
完全に恐れ入りました。
細野晴臣さんを超えるネーミングの帝王だと思いました・・・・
bockt
宜しくお願いいたします。
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そして、さらに15分ほどして、岡部が短いメールを送ります。このメールは、もはや、名乗ることさえ省略した、簡潔なメッセージですが、ようやく空欄となっていた「企画者」のスペースが埋まり、企画書が完成することに興奮した様子が伝わってきます。
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8月23日(月)20:31

了解しました!bocktで作成します!
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こうして、bocktが生まれたのです。さて、何のユニットか…について。これは大学教員とアーチストによる「リサーチ・ユニット」だと考えてください。テイストやアプローチ方法はことなりますが、3人とも、まちを〈現場〉に発想し、実践しています。何らかの「仕掛け」をまちに埋め込んだり、ふだんは気づかない関係性を見えるようにしたり、人との関わりを大切にしています。今回は「墨東まち見世2010」と連係しながら、いまちょっとばかりアツい「墨東エリア」で活動します。
こじづけ…のとおり、「組織」「コミュニティ」「知識伝達」といった概念や実践をふり返りながら、その先にある〈何か〉を見たいと考えています。

くわしくは、随時、このブログや墨東大学のオフィシャルウェブでお知らせするつもりです。どうぞよろしくお願いいたします。

・墨東大学オフィシャルウェブ http://bokudai.net/
・墨大ブログ(bokudiary) http://bokuto-univ.blogspot.com/